案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年7月19日水曜日

野上電鉄 日方の車両2

明るい日差しを浴びた和歌山市周辺の小私鉄。貴志川線、和歌山電軌、野上電鉄を撮ったネガはスキャンしたままモノクロ・トーン調整なしで活き活き写っています。御坊臨港、有田鉄道の暗さは曇天の天候のせいだけだったのだろうか。

 モハ31(元阪神1121形明り窓付)+クハ101 日方 1965.8.4 

 モハ32(元阪神1141形明り窓付) 日方 再掲 

 クハ104(元阪神1121形明り窓付) 日方

 3扉のモハ23(元阪急1形26) 日方車庫
 
モハ24(元阪神) 日方

2017年7月17日月曜日

野上電鉄 日方の車両1

野上電鉄は紹介済みですが、未使用の写真で昭和40年の野上の車両を紹介します。この頃は関西大手私鉄の残党が殆どであった。以下は前回の紹介文です。

日方駅は国鉄海南駅と接続していないため、80mほど先に乗換え専用の「接続口」駅がある変わった駅であった。この二つの駅の間に拡がっている留置線には、南側に迫る和歌山の山並みを背に、至るところ元阪神の小型車オンパレードであった。よくぞこれだけ同類を集めたもので、5枚窓モハ24以外はどの車両もよく似ている。富山地鉄笹津線からやって来た小さなデ10型が入線したのはこの後の時代であった。後に人気者となった元阪神5枚窓のモハ24は既に入線していた。

野上電鉄で最も大型だった3扉のモハ23(元阪急1形26)。この車両もまた電動機とブリル台車は南海の中古品を流用したらしい。こんな由緒ある名車が活躍していた時代であった。
日方 1965.8.4 

モハ24(元阪神)、と発車間近のモハ32(元阪神) 日方 1965.8.4

左からモハ26(阪神) クハ104、 モハ31(阪神)+クハ101  日方 1965.8.4

左からクハ104、 モハ26(元阪神)、 モハ31(元阪神)+クハ101   日方

日方の車庫

庫内には元阪神869(→野上モハ51)の車体がマルーン色のままで置いてあり、あちこちに外された様々な電動機が積み上げられていた。この車両も他の譲受車の中古台車を流用して登場したようだ。  日方車庫

国鉄海南駅の山側から野上電鉄が出ていて、海側からは和歌山軌道線が出ていた。

国鉄海南駅の煙。 どの写真も背後に山並みが迫る。

2017年7月13日木曜日

有田鉄道(リニューアル)

2012年11月16日にアップした有田鉄道もスキャンやり直した写真と入替えました。

紀伊本線の藤並駅から有田川上流の金屋口までを結んでいた有田鉄道。廃線が2002年とは意外でよく生き続けた小鉄道であった。1964年に見た車両や施設はその後大きく変貌し、2002年廃線時の有田鉄道とはかなりイメージが異なる鉄道であった。
あまり話題にならない地味鉄道であったが、地元有田川町では鉄道施設や車両の保存活動が活発で、2010年3月に立派な「有田川町鉄道交流館」がオープンしている。

有田鉄道 藤並駅の光景。紀伊本線のホームに降りるとそこに有田鉄道の改札口があった。 1964.07.09     


この日はキハ210が活躍していた。元国鉄42000を昭和27年に払い下げを受けた。藤並

キハ210に乗って着いた金屋口は御坊臨港鉄道と同様で木材だらけ。有田川上流が木材産地で御坊臨港の終点日高川とよく似ている。

 終着駅金屋口の全景。



スマートなキハ250 山鹿温泉鉄道の注文流れ品で昭和29富士車両製の新製気動車。


こんな機関車がいた.DB10
昭和29年森製作所製でこれも蒸機の足回りを利用したディーゼル機.

有田川が流れる金屋町の玄関金屋口の駅前風景

2017年7月12日水曜日

御坊の車両たち(リニューアル)

 紀井御坊 1964.07.09 

紀伊御坊の構内には車庫代わりに様々な車両が留置され、注目は元芸備鉄道キハニ19の大型キハ40801と、元富南鉄道キハ3の小型キハ103であった。この2両は当時の地方私鉄ではよく見掛けた両端に荷台を備えたタイプで、いかにも御坊臨港鉄道らしいキハであったが大型のキハ40801が多客時に出動するくらいでキハ103は使われていなかった。

大型のキハ40801 紀伊御坊 1964.07.09 


小ぶりなキハ103.既にエンジンが外されている

 紀伊御坊

 DB158+キハ103

 DB2012 立山重工製蒸機B20形の足回りを利用した森製作所製デーゼルロコ

  DB2012 

 DB158  元B形蒸機をディーゼル化した森製作所らしい凸型ロコ

ワ207

御坊臨港鉄道 終点日高川(リニューアル)

御坊臨港鉄道の眠いネガをスキャニングとトーン調整とリサイズをやり直して、2012年11月11日の記事をリニューアルしてみました。

御坊臨港鉄道の西御坊から日高川まで消えた区間を現地図上に赤で記入。

日高川の駅全景。日高川の手前で線路は終わり、右手に日高川を渡る熊野街道の天田橋が見える。日高川上流に日高材の産地があり、河口にある御坊市には製材・製紙業が多かったそうである。1964.07.09 


日高川の駅。駅周囲には木材が積み上げられ雑然としていた。ここにあった機関庫は戦災で破壊され西御坊へ移転したが日高川氾濫で水没し災害続きの機関庫は紀伊御坊構内へ移転され屋根なし機関庫となった。


 街外れにある日高川の駅前はひと気がなく閑散としていた。

日高川の水没で紀伊御坊へ移転された屋根なし車庫。

2017年7月8日土曜日

南紀の小私鉄

南紀の和歌山軌道線と御坊臨港鉄道。いかにも南紀らしい明るい和歌山軌道線に対し、奇怪な御坊臨港鉄道は暗いイメージが漂うのは曇天のせいか現像がよくなかったせいか。


様々な表情を見せる和歌山軌道線の東和歌山駅前。1965.8.4

和歌山軌道線 漁港がある新和歌浦。

和歌浦。

御坊臨港鉄道キハ40801が発車を待っている紀伊本線御坊駅。1964.07.09


下校時間になると紀伊御坊にいた荷台付キハを増結して40801+308で御坊へ向かう。高校生が荷台まで溢れている。御坊 1964.07.09

西御坊駅風景

御坊市街の家並みの中を気動車が行く.西御坊-日高川

街中をゴソゴソ走るDB2012(森製作所製)  西御坊-日高川 

家並みを抜けて田圃の脇を行く区間は紀伊御坊~西御坊か。