案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年3月18日日曜日

最後の筑波鉄道 常陸小田

1987年の3月、肌寒い日もあれば春の陽気も感じられる丁度今頃の季節。3月31日の廃線で消える常陸小田駅に桜の蕾が膨らんでいた。

Facebook(私ではありません)に沢山の地元次世代の人たちから、失われた筑波鉄道と常陸太田駅を惜しむ声が寄せられていました。

"若い人がまだ気づいていない日本の良さをもう一度引き立てて、通学通勤で利用してた皆さんにも喜ばれるような再活性化ができればこの上ない賑わいが生まれるのではないか・・・・"  

こんな声がありましたが、私もいつも思うのはこのような日本の良さを少しでも残していて欲しいものです。現在の常陸小田駅跡はどう変わったのでしょうか。駅近くの廃線跡は何と小田城跡歴史ひろばになっていました。

昨日から、2011年3月21日にアップした「最後の筑波鉄道 常陸小田」にfacebookからのアクセス数が跳ね上がっていました。

桜満開が近い常陸小田駅  1987.3.14

常陸小田駅  1987.3.14

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