案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年1月12日金曜日

オリンパスペンS

オリンパスペンSで撮った花巻軌道線の西公園停車場。1964.08.02
待合室には客が何人かいて外のベンチでは昼寝している学生風、まるで宮沢賢治が出てきそうな駅。
わたしの帽子の静寂と風の塊  いまくらくなり電車の単線ばかりまつすぐにのび レールとみちの粘土の可塑性  宮沢賢治『風の偏倚』より。

オリンパスペンSで撮った花巻軌道線の一休み。

4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

西公園がまだ交換可能駅だったころですね。
Cedarが行ったときはすでに1線でしたが、つげ義春の劇画に出てきそうな街並みに痺れました。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
そうです、西公園は交換可能の砂利に埋もれたへろへろ線路でした。

ここの街並みは私が見た中では最高傑作でした。
初めて見た時は、なんと時代遅れで死んだような街並みかと感じていました。
それが、40年50年経つと正反対になんと刺激的で絵になる街並みかに変化していました。
長い年月で価値観が変わるものですね。
つげ義春の劇画にある街並みは正にこの感じです。

狂電関人 さんのコメント...

katsuさま

オリンパスペンS、ご尊顔を拝すのはたぶん45年以上ぶりです。
それは、死んだ親父から兄に引き継がされた機でして、私には
おもちゃレベルのEE機ペンEEだったからです。

それでも40年代の我が拙作で活躍しました。
その次に、親父が使っていたPEN Fは俺にくれとせがんで、
初めて手にした一眼が、この世界初のハーフサイズ横置きミラー
フォーカルプレーンシャッター搭載のPEN Fだったのです。

時代はさらに下がり、自身が中坊になった年の冬、どうしても35版の
一眼レフが欲しくて、入手したのがOM-1。
その後銀塩ではNikon党の人となりましたが、
デジタル時代の到来で、満を持してカメディアの実績を積んだ
オリンパスに返り咲き。
奇しくもE300というフォーサーズ機は、あのPEN Fのメカニズムを継承した
ペンタプリズム横置きの三角頭を持たない機でした。

何だかオリンパスの回し者の様な乱文コメ失礼いたしました。

katsu さんのコメント...

狂電関人さん
オリンパスカメラの大変なファン一家なのですね。
私も35mmのOM1は鉄道めぐりを止めた70年代になってから使いましたが、
今思えば、僅か4年で止めてしまったオリンパスペンSをずっと使い続けるべきでした。

初代オリンパスペン、オリンパスペンSに使われたDズイコーは大変なレンズであったに気付いたのは最近です。
プロのスキャンとプリント機材でテストしてもらった結果は、幅450mm半切大にプリントしてもびくともしません。
よく言われている「ハーフサイズで不鮮明申し訳ありません」、あれは何なのか。
デジタル時代、しっかりしたスキャンとプリントすればかなり行けるレンズだと思います。
35mmカメラよりもオリンパスペンSで撮ったもに独特の情感豊かな写真がけっこうありました。