案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2018年1月10日水曜日

栃尾線 草軽のなごり

オリンパスペンSで撮ったネガの片隅から。
この頃、栃尾線には草軽電鉄のなごりがある電車、客車、貨車が何両も在籍していた。
また、改造されて全く草軽イメージが消えてしまった電車もあった。


元草軽の小さな客車。悠久山 1964.03.22


外観は草軽モハ103のままだが、駆動部に垂直カルダン・ドライブを組込んだ栃尾のモハ208。悠久山 


 繊細でか細い208のパンタ

208の室内
日鉄自動車製の雨宮コピーの板台枠台車(電装解除車)
花巻の雨宮製とは枕バネが異なる。

 草軽モハ102→栃尾ホハ29、その後サハ303となる。

2 件のコメント:

なと。 さんのコメント...

栃尾線の写真を見ていて気が付きました。
木造のホハにステップが無かったり、元草軽のモハ208の車内にデッキの仕切り?があったりと興味が尽きません!
撮られた年代によってディテールが違うのは当たり前ですが、とにかく個性のある車両で好ましいです。

katsu さんのコメント...

なとさん
草軽時代から内部に仕切りがあったのか、栃尾に来てから追加したのかどうかよく分かりません。
電車なのに何で客室に仕切りをつけたのか不思議です。
もしかしたら、写真は客車の内部なのか?
いや、何回見ても写真はモハ208の車内に間違いないと思うのですが。