案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年11月13日月曜日

下津井電鉄 観光路線化

1988年4月瀬戸大橋開通後も、下津井電鉄はどうやってこの観光路線に客を引き寄せようとしていたのであろうか?  考えられそうな推測をしてみました。

1987年頃、下電バスのドル箱観光コース(倉敷見物~鷲羽山めぐり)に、メリーベル号乗車、メルヘンチックな児島駅での買い物、下津井駅の車両展示施設見学などを新規に組み込んだのであろう。
瀬戸大橋の開通に伴う丸亀航路の消滅、JR茶屋町~児島開通による岡山~児島間の時間短縮があっても、大橋開通効果により下電バス+観光鉄道のコース(倉敷見物~鷲羽山めぐり)に飛躍的な集客が見込めると読んだのであろうか。

観光路線用に新造したメリーベル号に展望車をつけて観光客にこの絶景を楽しんでもらう。但し瀬戸大橋は見えない。1988.4.9

昔は下津井までバス道路が整備されていなかった絶景の海岸線。
車窓に瀬戸大橋が見えるのはここだけ。下津井電鉄と並走する道路は大橋開通以前に既に整備されていて、児島または下津井から鷲羽山へバスで行けるようになっていた。鷲羽山  1988.4.9

下津井からメリーベル号で鷲羽山めぐりにやって来た団体客。これに乗車することが観光のセールスポイントの一つ。 鷲羽山 1988.4.9


下津井駅は下津井港から丸亀航路で四国へ渡るルートであった。丸亀航路が消滅してからは、ここからバスか電車に乗って児島に引き返す。1988.4.9

下津井駅の観光化。下津井駅に立ち寄る鷲羽山めぐり客に、小型SL運転や車両展示を楽しんでもらう観光施設。

児島駅の移設新設と観光化。下電バスの拠点を児島駅とし、倉敷からの下電バス客はここで買物をしてメリーベル号に乗って鷲羽山めぐりに向かう。

瀬戸大橋は開通し、丸亀航路は既に消えている観光案内図。大橋開通効果で一大観光スポットを目指し、その中にShimotsui✳Cost✳Line(観光路線)を位置づけた。大橋開通こそが客を呼び込めると。 1988.4.9

4 件のコメント:

置き猫 さんのコメント...

メリーベル号は当時としても奇抜な車両だったのですが、改めて見るとなかなか秀逸な
デザインです。アメリカン・インターアーバンを彷彿とさせるダブルルーフの車体に
前面に持ってきたZパンタがよく似合う。
ダブルルーフは外見だけでなく構造的にもちゃんと二重屋根になっていたようで、
近年の製造例は当車と今年新製されたJR西日本のスハテ35 4001くらいでしょう。

katsu さんのコメント...

置き猫さん
ブログでメリーベル号は全く無視していましたが、今回、初めて活躍の姿をアップしました。
時代が過ぎ悲劇の電車を改めて見てみると、確かに凄い電車だったのですね。
一見ディズニーランド風と赤のカラーリングで、関心なくなってしまったのが残念です。

esehoku さんのコメント...

惜しかったですね、メリーベル号。
レトロ調だけど、ほとんど赤一色でシンプルにまとめてあると思います。
観光の目玉として期待しただけに、余計に残念でした。結構意欲的でしたよね。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
何のためのメリーベル号導入だったのか誠に悲劇の電車でしたね。
この電車の導入が1988年初めとなると、
大橋開通4月までの3ヶ月間で役目を終えたことに。