案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年7月12日水曜日

御坊臨港鉄道 終点日高川(リニューアル)

御坊臨港鉄道の眠いネガをスキャニングとトーン調整とリサイズをやり直して、2012年11月11日の記事をリニューアルしてみました。

御坊臨港鉄道の西御坊から日高川まで消えた区間を現地図上に赤で記入。

日高川の駅全景。日高川の手前で線路は終わり、右手に日高川を渡る熊野街道の天田橋が見える。日高川上流に日高材の産地があり、河口にある御坊市には製材・製紙業が多かったそうである。1964.07.09 


日高川の駅。駅周囲には木材が積み上げられ雑然としていた。ここにあった機関庫は戦災で破壊され西御坊へ移転したが日高川氾濫で水没し災害続きの機関庫は紀伊御坊構内へ移転され屋根なし機関庫となった。


 街外れにある日高川の駅前はひと気がなく閑散としていた。

日高川の水没で紀伊御坊へ移転された屋根なし車庫。

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