案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年7月3日月曜日

井笠鉄道 50年前の撮影ポイント。

50年前に撮った写真は記録さえ付けておけば何の苦労もないのに、記録がないと撮影場所当てが大変厄介なものです。以前、井笠鉄道の「しっかりした線路」の風景を取り上げたことがありますが、この素晴らしい撮影ポイントが大井村~小平井にあることがやっと分かりました。

 大井村 1967.3.8

私の出費記録にあった北川~大井村40円から大井村で下車したのは間違いないようだ。さてそこからどちらに向かったのか? 大井村駅の北方と南方を当時の五万分の一地図と現在の地図を付け合わせ、ストリートビューで確認してみると、廃線跡らしき小路はほぼ確認できるものの、50年前の撮影ポイントが確定できたのは大井村~小平井間のここ(以下の写真)だけであった。大井村近辺で昔の面影残すのはこれくらいかも知れない。 

井笠鉄道のしっかりした線路。直線区間の先を右にカーブする。大井村~小平井 1967.3.8

大井村~小平井 1967.3.8

左にカーブして直線区間へ入る。この列車の位置に今は高速道路の笠岡インターがある。 大井村~小平井 1966.12.9  撮影:田辺多知夫氏 

Googleストリートビューで現在を見ると、山陽自動車道 笠岡インターを潜った小路(廃線跡)はその先が直線区間となり50年前の面影が確認できる。

2 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

井笠は鉄道として幸せな方だと思います。
記念館まであって、今でも結構いろいろと取り上げられる事が多いですからね。
同じ記念館でも、庄内交通は対象的でしたよね(涙)。
軽便って、井笠、駿遠、草軽、尾小屋、西大寺がやっぱり別格なのでしょうか…?

katsu さんのコメント...

esehokuさん
軽便で井笠や尾小屋に人気があるのは後年まで走り続けてファンが多いせいだと思います。どの路線が別格なのかは年齢や好みで人様々だと思います。私にとっての別格は沼尻と頸城でした。私の上の世代では草軽や九十九里あたりが多いのではないでしょうか。