案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年6月25日日曜日

田辺さんの山陽めぐり 岡山電軌

岡山電軌と言えばこれ、2軸電車だけ集めてみました。

撮影:田辺多知夫 1966.12.9



上之町

柳川

まるで入門模型のような電車。

岡山駅前

岡山の前に立ち寄った井笠の荷物満載の軽便。小平井-大井村 196612.9
この3か月後、私もこの場所に立っていた。


2017年6月21日水曜日

田辺さんの山陽めぐり 広島市電

呉の次は広島市電(広島電鉄市内線)となります。
私が山陽地方を訪問したのは1967年3月始め、田辺さんはその3か月前の訪問で私とほぼ同時期の撮影ということになります。広島市内線、宮島線、呉市電と撮り歩いて翌日は井笠へ。そして岡山へ。

1966.12.8 撮影:田辺多知夫氏
広島駅前の夜景。


広島の繁華街 紙屋町の通り。電停紙屋町東。 
Googlerストリートビューで見た現在。


5と3系統が走っていることから宇品へ向かう道路でしょうか。

広島市内線600形602。

市内線の終点己斐(西広島)
西広島駅風景

宮島線の1015 西広島
1010形の中で改造されずに残ったこの1010形未改造車1015は、開業時の1000形の姿そのものと言えるだろう。1010形改造車とは違い客扉が原型の通り両端にある。

2017年6月19日月曜日

田辺さんの山陽めぐり 呉市電

昭和41年12月に山陽路を訪ねた田辺さんが撮った呉市電がよい雰囲気です。
戦後20年が経過した呉の街に独特の雰囲気を感じてしまうのは昨年大ヒットしたあの映画のせいでしよう。

1966.12.8 撮影:田辺多知夫氏 
軌道線の向こうに拡がる街になんとなく戦後の風景を感じてしまう。

堺川に架る堺橋でしょうか。

Googlerストリートビューでこの橋の現在が確認ができる。

写真と一致する映画の山並み。
アニメ映画「この世界の片隅に」

街中の事務所に掲げた「アメリカ原子力潜水艦入港阻止監視センター瀬戸内海本部」の看板。


そして呉と言えば呉線のC62。

2017年6月7日水曜日

朝の別府港 2軸客車

扉を開けた中にあった引き込み線の一角については訪問記に記録なしでした。そこにいた2軸客車の経歴などは既にブログの「別府鉄道の旅客車両」で紹介してあります。写真で客車の周囲が少しだけ分かりますが、あるのは何かの残骸(工場跡?)だけのようです。

お馴染みの2軸客車を含め7両も2軸客車が留置されていたのは、これだけ客車を必要とした多客シーズン(海水浴)が昭和30年代前半まであって、訪問した昭和30年代後半はかっての客輸送の跡形をかろうじて残していたと言う事になるのでしょう。

ハフ7 別府機関区  1962.07.28 

ハフ5 (ハフ6は同形) 

ハフ1、2 

 別府港を発車した土山線の5号機+客車ハフ6+貨車.

別府港へ戻ってきた土山線の5号機+客車ハフ6+貨車. 

2017年6月6日火曜日

朝の別府港 別府機関区

客車がいた一角や機関区をだいたい撮り終えて帰ろうとすると、さきほどの上半身裸のおじさんが貯炭場脇の小屋の中で井戸で冷やした麦茶でもてなしてくれた。夏の私鉄めぐりの初日、こんな有り難いエピソードからスタートした。 1962.07.28

板塀で囲ったまるで要塞のような別府機関区は、右手に長い機関庫が見えその左にヤグラのような得体のしれないものが見える.その先にハリマ○○と書かれて煙突があった.

両側を板塀で囲われた機関区全景で左が雨宮2号機が休んでいた長い機関庫で、その先のもう一つの機関庫で6号機が休んでいた.そして板塀に「←扉」と示したトビラを開けると客車が留置されている一角があった.

貨車の後ろが長い方の機関庫でかなり古ぼけている.2軸気動車の2両はこの中にいた.

機関庫の中の2軸気動車キハ1と2(初代).上の明かり窓から日が差し込む.

給水塔・貯炭場の背後に見えるのが板塀の向こうの一角にあった何かの跡?

冷たい麦茶を飲ませてくれた貯炭場の脇にあったポンプ小屋?


2017年6月4日日曜日

朝の別府港 雨宮の蒸機

塀の隙間から見た向こうは機関区で盛んに煙を吐いて蒸機が貨車の入替をやっていた。動いているのは雨宮の1号機ではないか。さっそく機関区の門をくぐってことわりを言うと上半身が裸のおじさんが事務所の方へ案内してくれた。所長さんの話によると2軸のキハ1と2は使われていないらしい。朝は2軸のキハ1と2では小さ過ぎて、大型ボギーのキハ3が三岐から来て最近使い始めたとのこと。見るからに不安定そうな2軸キハは自動車と衝突して転覆したことがあるそうだ。

そんな話をしているうちに雨宮1号機が庫内の兄弟機2号機を表に牽き出してくれた。2両の雨宮はとても綺麗な蒸機である。蒸機を撮り終わると、さっきの裸のおじさんがトビラを開けて別の引き込み線がある奥へ案内してくれて、そこには湘南カラーに塗られた2軸客車が何両も押し込まれていた。1962.07.28

味わい深い社紋と銘板.

雨宮の1Bタンク2号機

外に牽き出された2号機.

雨宮の1号機と2号機.

この日活躍していた1号機.

2017年6月2日金曜日

朝の別府港 ボギー気動車

別府鉄道の別府港駅、ここから野口まで走っていたボギー気動車を撮ったのは早朝であった。
前夜19:30発の急行「はりま」で東京を発ち朝6時頃明石に到着し、山陽電鉄に乗換え20分ほどで築堤上にあるの山陽別府駅に到着すると、少し離れた別府港駅辺りから蒸機の煙が垂直に昇っているのが見えた。
商店もほとんどない駅前通りを抜けて別府港駅に向かうと、湘南カラーの大きな気動車がノロノロと野口へ向かって行った。板塀の隙間から向こうを覗くとそこは機関区で雨宮の1号機が煙を吐いていた。1962.07.28

気動車が走る野口線とSLが走る土山線が分岐するあたりの田んぼで両方を狙った.

別府港駅を発車し機関庫脇を野口へ向かうキハ3.この頃二代目キハ2はまだ入線していなかった.

野口線の線路.そして板塀の向こうに宝の山の世界があった.

 ロクサンが走っていた山陽電鉄「電鉄別府」駅が田んぼの向こうに見える.

現役時代の山陽のロクサン電車.電鉄別府-須磨町

山陽電鉄の下を土山へ向かう土山線の煙.早朝はこんな裸のおじさんがよくいた.

山陽電鉄の姫路行急行.