案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年3月24日金曜日

京王線初台駅の今昔

先日の京王線初台駅今昔の記事に関し、子供の頃に初台に住んでいた方から更に写真を送って戴きました。53年前(1963年)の初台駅とほとんど同じ位置で撮ったそうです。

写真を並べてみると、初台通りの商店街の道幅や、踏切遮断機といまの横断歩道の位置関係などほぼ符合しているそうで、オリジナル初台駅は相対式二面二線のはずで地下化工事期間中は写真で推測がつくように島式一面二線の仮ホームだったそうです。

水路上?に仮線された初台駅の下り線  1963.7.31.
1963年4月に新宿駅地下化が開業したが、新宿~初台はまだ地下化工事中で新宿~初台の地下化完成はこの1年後1964年6月7日であった。
初台駅の今と(昔).撮影:杉田様
ミタニビルそば屋(コクヨ店)、横断歩道(踏切)、初台通り、遊歩道(京王線下り線) 

京王線初台駅があったところの現在. Google Earth
京王新線の開通により地下京王線の初台駅は使われなくなり、京王新線に初台駅が設けられた。

ところで、この区間の地下化工事について鉄道ピクトリアル誌「京王電鉄1950~1960」によれば、用地買収を少なくする目的で旧玉川上水路用地と京王帝都用地だけを充当した工事で、地下京王線の工事工程順の図解がありました。

旧玉川上水路用地の上に仮線敷設したのが写真↓でこの後、仮線へ移動し本線の下に地下線を設けた。
文化服装学院辺りまで水路の脇を走るカーブが多い区間.1963年4月

甲州街道から文化服装学院の脇を走ると水路がある区間に入る.1963年4月

それにしても美しい電車が走っていた時代.デハ2150形 下高井戸 1962.12.7

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

いや~Cedarが東京で写真撮れずに未だに悔しかったのは地上時代の京王線新宿付近、地下化したころは小学生でカメラもまだ待ってなかった。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
現在の甲州街道の風景から54年前に京王中型車が5連で甲州街道をゴロゴロ走っていたことが信じられません。
私は新宿地上駅はなんとか間に合ったものの残念ながら1枚も撮っていません。
オンボロな仮設駅に全く関心が向かなかったせいでしょう。
惜しい事をしました。