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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年3月16日木曜日

昭和42年 伊豆箱根鉄道駿豆線

先日の伊豆箱根軌道線で1963(昭和38)年2月に廃止となった直後の鉄道線(駿豆線)大場工場で見た艤装中のモハ1000系のその後がその年の夏駿豆線 夏の新車でした。

そこから4年が経った1967(昭和42)年1月、田辺さんが駿豆線を訪問し沿線風景を撮っていました。
この頃の駿豆線は新車1000系を除いては旧国鉄の戦災車など旧国鉄の車両が大半を占めていた。モハ50形(50~59)、モハ60形(62、63)、クハ70形、クハ80形はどれも旧国鉄で1両1両に相違があるややこしい電車が富士を背景に走っていた。

1967.01.07 撮影:田辺多知夫氏

富士を背景に伊豆半島を走るモハ62(旧国鉄モハ31系)

富士を背景に伊豆半島を走るモハ50形(旧国鉄)

ED32(東芝車両製)が牽くこんな国鉄客車の乗り入れがあったのですね.

153系の乗り入れ.

1000系が最も美しかった時代.
昭38.西武所沢へ車体を自社発注した新型ボディの1000系 
新しい車体に古い台車の組み合わせがとても魅力的です.


以下は大場工場にいた車両のバリエーション.1963.2.22


 モハ50
モハ54
モハ57
 モハ58
モハ59
 モハ52
クハ72

あれから4年が経った軌道線のモハ205廃車体.1967.01.07

参考文献: 鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり」第6分冊 伊豆箱根鉄道 吉川文夫氏

4 件のコメント:

esehoku さんのコメント...

1000系が最も美しかった時代…
本当にそうですね。あの、大井川鐵道の大代川側線の末路は本当に悲惨でしたから。
SLも良いけれど、電車史上も貴重な車両を集めているのだから、大鐵さん、電車ももう少し大切にしてほしいなと思います。いろいろと厳しい事情はあるのでしょうけど。

katsu さんのコメント...

esehokuさん
大井川での1000系の哀れな末路をネットで見て驚きました。
ここへ来る以前の駿豆線でも新カラーリングや改造で無残な姿になっていたようです。
もしシンプルで美しい初期の姿で保存されていたら素晴らしいことです。
鉄道博物館と言えばまず私鉄の車両の保存は対象外が悲しいですね。
私鉄鉄道博物館でもできないと、こんな電車の保存は無理なのでしょう。

なと。 さんのコメント...

自分が駿豆線に行ったのは昭和49年の秋。
国鉄で言えばクモハ11だけど、パンタが連結面にあったり、戦災復旧車でガーランドベンチレーターだったりの17m国電が20mのクハやらサハを挟んで3連で走っていました。

車掌が後部運転台に居ないので時間があると思い撮影していたら、中間クハのドアスイッチを操作して発車してしまい、取り残されたのが思い出です。

それからモハ205の廃車体は自分が見たのもそのままでした。

katsu さんのコメント...

なとさん
私は昭和38年以後の駿豆線のことは全く知らなかったのですが、
10年後も相変わらず戦災復旧車が主力だったようですね。
この時代は上毛電鉄などでも西武から旧国電が続々入ってきたようで
関心が薄れていきました。