案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年3月14日火曜日

昭和41年 よき時代の筑波線

常総筑波鉄道筑波線は昭和40年6月に鹿島参宮鉄道と合併して関東鉄道筑波線になり、その後、昭和54年に関東鉄道から分離して筑波鉄道となった。
1966(昭和41)年に田辺さんが撮った筑波線を紹介します。この頃は関東鉄道筑波線が正しい社名ですが筑波鉄道のラベルに入れてあります。
1966.10.10  撮影:田辺多知夫氏

愉快な国鉄乗り入れ列車が岩瀬方面へ向って走っていた.真壁 常陸北条

国鉄水戸線 常磐線からが筑波まで乗り入れていた列車ですね。
昭和34年5月、遠足で上野から乗った国鉄客車は土浦でディーゼル機が牽引して筑波駅へ向かった。あの時の列車はこんな小さな機関車であって、後の大型のDD501やDD502の牽引ではなかった。

美しい秋の田と機関車DC202 常陸桃山-真壁 常陸北条

筑波山麓でまだキハ303が活躍していた. 筑波-常陸北条

筑波駅のキハ303
筑波駅のキハ303

筑波駅のホハフ201

ホハフ201を挟んだ編成.真壁と思ったが構内線路配置から常陸北条ですすね.

 ホハフ201を挟んだ編成.キハ401+ホハフ201+キハ41005

キハ401   筑波-常陸北条


土浦駅の筑波線キハ41006

楽しい常磐線
常磐線土浦駅の風景

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

先日はお疲れ様でした。
この時代の筑波山は観光地として人をひきつけていたのがわかります。愉快な乗り入れ列車も鉄道のネットワークを生かしてましたね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
先日はお世話になりました。
乗り入れ列車の写真は真壁ではなく常陸北条のようです。
ならば土浦から筑波線に乗入れる有名な筑波行き列車ですね。
中学生の頃に遠足で上野から乗った記憶があります。
今はつくばエクスプレス開通で便が良くなり筑波山観光が賑わっているようです。