案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年2月26日日曜日

旧東海道を行く木造ポール電車1 リニューアル

2011年5月に投稿した伊豆箱根鉄道軌道線、あれから6年が過ぎ、今のフォーマットに合わせてリニューアルします。当時のコメント欄はそのまま残してあります。

旧東海道の未舗装路の脇を木造ポール電車が三島と沼津の間を走っていた。この軌道線がまもなく消えるのを知り、正確な廃線日も知らずに訪問したのが1963年2月22日、廃止して18日が経っていた。旧東海道を行くこの素晴らしい軌道線の光景を僅かの差で逃してしまい悔しい思いをした。三島広小路の駅は何もかもがそのまま残っていて今にもポール電車がやってきそうな雰囲気があった。

その先には外されたレール、道路の凸凹など軌道の形跡残す旧東海道が沼津方面へと続いていた。幸い車両の殆どは鉄道線大場工場に集結し解体前であり、軌道跡からポール電車が走っていた光景を想像することができた。素晴らしき伊豆箱根鉄道軌道線。
1963(昭和38)年2月4日が最終日であった。

旧東海道脇のドロ軌道を、三島広小路から沼津までポール電車が走っていた風景.
廃線直後の道路に外されたレールと軌道跡の凸凹が残る. 1963.2.22

鉄道線の三島広小路から軌道線が出ていた.廃線直後の駅はそのままの状態で、今にも電車がやってきそう.

三島広小路を出ると右にカーブし旧東海道に入る.左は鉄道線への連絡線

部分拡大してみると、中華料理店の支那忠、その隣に映画館のミサイル珍道中の看板が並ぶまるで模型のような昭和の街並み.

廃線直後の三島広小路の商店街.軌道跡は舗装路に.

線路がはずされた旧東海道.

国立病院前の一つ手前 長沢にあった車庫. 
 
長沢車庫から三島方面を見る.道路の右側が廃線跡

2017年2月15日水曜日

水浜線シリーズを終えて

大貫停留場  1966年5月 撮影:青蛙氏 


田んぼの中を走る路面電車. 1966年5月 撮影:青蛙氏 


2013年11月29日の青蛙さんからのメールに添付されていた水浜線の衝撃的な大貫停留場の1枚。これが本ブログで水浜線を取り上げるきっかけでした。青蛙さんの画像が暫く続いた後、田辺さんが4回訪問した画像が見つかり水浜線の記事は計18回も続きました。

水浜線がこれほど魅力ある路線だったとは!!  私は最近になってそれに気付きました。田辺さんは4回訪問して沿線各所を撮影されましたが、水浜線の魅力はまだまだ尽きないようです。
水浜線の風情溢れる魅力は今に至るまで殆ど知られていなかったと思います。市内大通りを走る風景はどこでも見られた路面電車風景ながら一歩専用軌道へ入ればそこは別世界であった。車両写真を大通りと浜田車庫で撮ればそれでおわり、そん車両ファンが多かったのかもしれません。

当時は鉄仲間で訪問の成果(写真)を見せ合うことはなく、水浜線未訪問の私にとってその素晴らしさは知る由もありませんでした。約50年を経て初めて写真で見た水浜線の魅力、この鉄道風情にタイトルを付けるとしたら「海辺のトロリーライン」とでも、これはぜひ廃線跡めぐりに行かねばなりません。軌道跡の小路に立つと潮風、匂い、陽光など当時の空気を感じることが出来るかもしれません。

水浜線最終回の記事に戴いたコメントをここに紹介させてもらいます。

4月中旬の日を浴び、新緑が始まる頃の木立、低い植栽には春の花が満開.
谷田~浜田  1964.04.13  撮影: 田辺多知夫氏

何も説明がいらない感動の一場面. 大串 1966.05.30
撮影: 田辺多知夫氏 
匿名


 匿名 さんは書きました...

素晴らしかった水浜電車こと、茨城交通水浜線のシリーズをありがとうございました。数々の素晴らしい光景に、思わず我を忘れて見入っておりました。こんなにも素晴らしい軌道線(路面電車)があった事、それをこのように纏まった記録にされて事は、後世への画像遺産として誠に相応しいものと思われます。

思えばかつて、あちこちに素晴らしい路面電車が存在していました。私の地元にも、伊豆箱根鉄道の島津軌道線(三島~沼津間)がありました。その廃線跡となった道路を、たびたび所用にて車で通行します。そのたびに、よくもこのような狭い道路(旧国道1号線)に、曲がりくねった路上に、ポール集電の電車が走っていたものだと感心します。そして古地図に現状を重ね、その沿線にあった素晴らしい光景を想像しております。

このたびの水浜線は、その沿線風景の変化の大きさに驚かされます。ことに海岸の風景、松林の傍らを走る姿や、鄙びた漁港の終点に向かって走る姿は感涙物です。その一方で海水浴客が押し寄せ、旅客輸送に翻弄された夏の風物詩など、人々に永遠に伝えられるべき存在の軌道線だったと思います。その姿を現実の物とし、シリーズで掲載して下さった事に、重ねまして心より御礼を申し上げます。これからもぜひ頑張って下さい!

2017年2月9日木曜日

京王線 中型車最後の活躍4


京王線中型車を撮った頃は新宿駅の地下化が完成し地下駅に移行する頃で、
あの頃に撮ったローカル電鉄風のこの一枚、やっと駅名が分かりました。

撮影場所が不明であったが、ここが初台駅とは!  1963.07.31 
子供の頃に初台駅前のコクヨの看板がある三谷文具店によく通った方からメールをいただき初台駅であるのが判明。写真の初台駅はまだ地下化工事中で初台までの地下化完成は1964年6月7日であった。


これが今の初台ですか! 杉田様よりメールで戴いた写真.


1963年4月に新宿駅地下化が完成し、地下駅でダブルルーフ等中型車を見ることができた.その後すぐに昇圧化(1500V)し中型車は新宿地下駅から消えた.撮影:田辺多知夫氏 1963.06.02 昇圧化は1963年8月




最後の新宿地上駅(再掲) 1963年4月 
新宿地上駅を出るとすぐカーブして甲州街道のど真ん中を走っていた京王線。新宿地下駅が開業する直前の光景で、甲州街道を右手へ進んだ橋の上にある国鉄新宿駅南口は工事中のようだ。 駅の周辺にはまだ高いビルもなく新宿もすっきりしていた。

甲州街道から新宿駅西口方面、新宿駅南口を見た3年前の風景(再掲) 2014年5月
甲州街道から新宿駅西口方面、新宿駅南口を見た今の風景 2017年2月
あの長閑な新宿駅周辺もあっという間にビルが林立する風景となり、新宿地上駅があったところに京王百貨店が建つ。

2017年2月7日火曜日

ある日の水浜電車 昭和41年(4)廃線前日

田辺さんの水浜電車シリーズも今回が最終回となります。
4回目の訪問は昭和41年5月30日ということで廃線の前日ながら静かな一日であったようです。2015年7月20日にアップした「ある日の水浜電車 昭和41年」がそれでした。

田辺さんが3回目、4回目に訪問した昭和41年は戦後の車両は仙台へ売却済みで、戦前の旧型車だけが走っていた時代。この時期の水浜電車の風景が最も魅力的に見えるのは旧型車だけが活躍していたせいもあるのでしょう。

本町五丁目 本五丁目のSカーブを行く木造車.1966.05.30

 棚町(旧本社前) - 水戸駅前



平戸近辺か? 大串近辺

涸沼川橋梁 平戸 - 磯浜

大洗の松林. 東光台 - 大洗 

潮の香りが漂ってきそうな終点大洗.

大串と似ているようだが別の駅なのでしょう?

水浜線126~128と同型車で日立電鉄(常北電気鉄道)からやってきた雄勝線ホハフ5.1964年8月

2017年2月4日土曜日

ある日の水浜電車 昭和41年(3)田園を行く

田辺さんの水浜線第3回目の訪問で撮影場所が分からなかったのが田園地帯を走る風景でした。水戸の樫村様に現地調査戴き浜田~谷田間ということが判明しました。今も水浜と表記された杭があるそうで、小さな道路に水浜線の面影を残しているようです。

モノクロ写真 浜田 - 谷田 1966.02.09撮影 

田園風景の今昔 浜田 - 谷田.現在のカラーは全て樫村様撮影

浜田 - 谷田

水路を渡る風景の今昔.浜田 - 谷田

前回、新緑の木立を撮影した場所を再び訪問、今回は冬の木立.浜田 - 谷田

浜田 - 谷田

水浜の杭.

谷田 - 六反田  1966.02.09

谷田 - 六反田 1回目の訪問1964.04.13 
六反田風景の今昔.

2017年2月2日木曜日

昔の鉄道仲間

田辺さんが遺した画像の中に貴重な記念写真を見つけました。昭和39年3月遠鉄奥山線の帰路に寄った駿遠線で雨が上がらず早目に切り上げ東京へ向かっているところです。

学生時代に地方私鉄を撮り歩いた鉄道仲間は田辺、飯島、和田、風間の四人であったがまず四人揃うことはなくこのメンバーの中の2~3人で出掛けることが多かった。
この写真の時はもう一人諸河氏(のちの鉄道写真プロ)も参加していたが、彼は駿遠線の新藤枝~袋井間を全線乗車する余力があり藤枝で別れて我々は先に帰路についた。
貴重な記念写真と言ったのは、珍しく四人揃った旅だけでなく、自分たちの記念写真は絶対に撮らない主義(フィルムが勿体ない)であったので、まずこういうスナップ写真などはあり得なかった。今思えば一回の旅で数枚くらいは撮っておけばと後悔しきり。

1964(昭和39)年3月25日
ブログでたびたび使わせてもらっている名作の撮影者 故田辺氏

「私鉄の車両」シリーズ全24巻 保育社を遺した故飯島氏.カメラ向けられるのを最も嫌った彼.

時々ブログのコメントに登場する和田(青蛙)氏.彼と一緒に旅したのが最も多かった.

私(風間)です.

この日、諸河氏が乗った駿遠線. 新藤枝から袋井まで軽便60kmの旅.
駿遠線を楽しんでいる鉄仲間.


1~3番線まである大軽便の新藤枝駅.