案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2017年1月11日水曜日

ある日の水浜電車 昭和39年 (1)

素晴らしき水浜電車、昭和39年ある日の水浜電車を田辺氏のアルバムから。
撮影: 田辺多知夫氏 1964.04.13

 昭40年6月10日で上水戸駅前~水戸駅前間が廃止される1年前の水戸駅前付近風景。
この頃は上水戸から茨城交通鉄道線の大学前まで乗り入れがあった。
そして大学前~大洗直通もあった等、変化に富んでいた。
ここに写真はないが上水戸のジャンクションが大変に興味深い。


129
水戸駅前から大学前まで往復する135.バスが凄い.

上水戸発の大洗行133

 魅力的な126

129 浜田車庫近くと思われ、この大学前行は大洗発なのでしょう.

 127

138

2 件のコメント:

三等急電 さんのコメント...

魅力的と書かれている126~128のことですが、Wikipediaによれば「1942年に日立製作所で製造された。戦時中による資材不足であったためか木造となっている。メーカーへの発注は5両だったが2両を車両不足だった常北電気鉄道へ割り当てられて3両が竣工した。」とあります。
(1944年に常北電気鉄道は日立電鉄に改称)
さらに、1950年にその中の1両が日立電鉄から羽後交通に譲渡され雄勝線でデハ4になりました。
その後、電装解除してホハフ5となりました。
気付くのが遅れタイミング外れのコメントになってしまい、すみません。

katsu さんのコメント...

三等急電さん
ありがとうございます。
好ましい126~128の経緯はその通りと思います.
これに関してはピクトリアル「私鉄車両めぐり」や「RMライブラリー」に記載があり敢えてここでは記事にしておりません。
雄勝線で見たホハフ5は原型のボディだったのか確かに木造でした。
https://umemado.blogspot.jp/2013/04/blog-post_28.html
この両者の対比をどこかに入れてみようと思っています。