案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年8月29日月曜日

栗原電鉄 空腹と田園とM15形

栗原電鉄で私の記録は一言でいえば空腹と単調さ(田園風景、M15形一形式のみ)であった。何もない沿線はいつも空腹に悩まされる、そんな栗原の旅日記を追ってみます。

撮影:1966.03.01
 石越駅
仙北鉄道の訪問を終え、瀬峰から鈍行で石越に着くと連絡ホームはなく駅前に出てみると、単行のM15形が停車している栗原電鉄「のりば」があった。

 M152  石越
M15形(151~153)は先ほどまで軽便(仙北鉄道)に乗っていたせいか、ばかに車内が広く感じられ堂々とした車両に見え、アカ抜けしたスタイルにグリーンとクリームのツートンカラーが文句なく似合っていた。二つ目の若柳で下車し本社で許可をとると親切に車庫まで案内されて車両の説明までして戴いた。

M153 若柳
ちょうど元西武の二枚窓M18形(撮ってなかった)が入場中で、この日の運転はM15形だけであった。

M151 若柳
この駅の近くに高校があるようで今日は卒業式らしく免状らしい筒を持った女高生が三々五々駅に集まってきて駅は高校生で一杯になってしまった。やってきた電車は単行のため高校生で満員、車内には派手な広告がデカデカと下がっていた。

 M151 津久毛
沢辺まで切符を買ったが沿線は一面の田んぼばかり、仕方なくその先の津久毛まで乗った。ここは交換駅だが田んぼのど真ん中、入場券(コレクション)を買ってから外に出たが駅前に店はなく民家が数軒のみ。ここで飲食店に入って昼食の予定が狂ってしまい、空腹が続いた。


M15形
津久毛から細倉方面に歩き出すと、暖かい初春の日差しの下、仙北鉄道と同じように田んぼの向こうに連なる農家の佇まいの風景が美しかった。冬枯れの黄ばんだ枯草とぼつぼつ芽が吹いた新緑の木立、そして何かの木の花が咲き誇っていた春の訪れ。よく考えればこの日は朝から何も取ってなかったが、空腹を我慢して次の杉橋駅まで1.5kmほどを歩き出した。


 M15形 杉橋駅の手前?  いや駅の先かも知れない.
杉橋駅の近辺にはわりと家があり駄菓子屋くらいはありそうで先へ進んでみた。杉橋は無人駅で駅近くに石碑と松の木があるムードある駅でほっとした。駅前には商店街みたいなものは全くないが、あの淡路島にあったような駄菓子屋(今ならコンビニ)があったので、菓子パン2個(35円)を買ってやっと昼食にありつけた。川辺で菓子パンをかじっているとやってきたのがMT編成であった。

24レで石越へ戻ることにしてこの無人駅で休んでいると、あたりは暮れ落ち夕飯の支度なのか家々から煙が立ち上り、旅の寂しさを感じさせた。ベンチでボッーとしていると地元のお年寄りがこちらを向いて挨拶したのには驚いた。純朴な地方では地元の駅で誰とでも挨拶するのは当たり前なのだろう。

2016年8月21日日曜日

下津井電鉄 1枚の写真から 2

先日の1枚の写真、先頭クハ9の編成がとても貴重な写真です、クハ9に続く中間サハも気になります。
1963年に田辺さん、1962年に私が訪問した下津井電鉄の写真で元栗原電鉄のサハを探してみました。元栗原はサハ1、2そして少し長いサハ3の3両が在籍していたようです。

撮影: 1963.07.19 田辺氏、1962.07.29 katsu

 1963.07.19 茶屋町

上の写真を拡大してみるとクハ9+サハ1or2+モハ50系   

下津井の車庫に休むモハ102+サハ3(元栗原)+クハ  1963.07.19
翌年にモハ102+サハ3+クハ22の固定編成化の改造が行われた.

下津井の車庫風景 1963.07.19

モハ103+クハ24の向こうに見えるサハ3(元栗原)   1963.07.19

 モハ52+サハ1(元栗原)+クハ23  1962.07.29

電装解除されたサハ1(元栗原)  1962.07.29
元に戻したら素晴らしい電車になることでしょう.


モハ103+クハ24 下津井  1963.07.19
1961年に登場したモハ103+クハ24 茶屋町  1963.07.19
私はこの新鋭電車を全く無視してしまい1枚も撮らなかったが、田辺さんはこの電車を何枚も撮っていたのでお気に入りだったのだろう。茶屋町は軽便にしては立派な駅であった。

ナロー模型ではこんな元栗原や元単端のような異種中間車を組み合わせた箱もの編成の楽しみ方がありますね。
下津井のサハが栗原で軽便電車だった頃.


岡山駅の準急「鷲羽」1963.07.19 宇野線経由で宇野まで走っていた。
宇野線茶屋町で下津井電鉄に乗換えれば鷲羽山に行ける時代であった。


2016年8月17日水曜日

下津井電鉄 1枚の写真から 1

先日、Facebookで1枚の写真 下津井電鉄クハ9を投稿したところ、単端式ガソリンカーまでいろいろ話題が拡大しました。しかし車両経歴などの話題はフロー型のFacebookには向かず、ストック型のブログで取り上げてみます。

 下津井電鉄クハ9  茶屋町 1963.07.19 撮影:田辺多知夫氏
専ら朝夕の増結用で、使用頻度は比較的少ない(私鉄車両めぐり下津井電鉄より)

この下津井電鉄クハ9の元は、2両の単端式ガソリンカーの車体・台枠を背中合わせに接合してできた話はよく知られている。調べてみると下津井電鉄にいた単端同型3両(カハ1~3)のうち1両(カハ2)は井笠鉄道へ譲渡されたそうだ。

下津井のクハ9の元になったのはこんな単端だった。 井笠鉄道ハ17  1962.07.30 
この時代は単端2両でできた電車と、元単端1両が山陽路に生きていた。

1962年夏のくじ場には様々な単端や単端崩れがいて、下津井電鉄カハ2が井笠に来て客車化されたハ18がいた。写真は同型のハ17である。エンジン、ボンネット、リヤバスケットが外されて客車化されたが単端ガソリンカーの面影が十分残されている。
下津井電鉄の自社工場でこんな単端2両をつなぎ合わせてクハ9が製作された。単端2両では長さが足りなかったのか客室窓2個分が延長されている。

井笠鉄道 夏のくじ場の単端群  1962.07.30

コッペル1号機の向こうにいたハ18

参考:鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり」第1分冊、第6分冊
狭軌鉄道Ⅰ下津井電鉄車両竣功図

2016年8月12日金曜日

「コクリコ坂から」1963年11月、横浜

今夜、また「コクリコ坂から」がテレビ放映されるようです。


以前、アップした「コクリコ坂から」 1963年5月、横浜。 はこのジブリ作品の時代設定である1963年の横浜市電風景を集めたものです。今回は田辺さんが撮った1963年11月の横浜市電風景を集めてみました。

撮影:田辺多知夫氏 1963.11.01
この時代のオート三輪や軽三輪などクルマが楽しい.

青木橋

横浜駅前

桜木町

桜木町

桜木町

楽しい単車が活躍していた時代.



2016年8月3日水曜日

最上川沿いを北上する

昭和46(1971)年5月の連休に最上川沿いを北上したことがあった。
長井線の長井駅前旅館に泊って、米坂線の宇津峠の96を撮ってから、
今泉を後に最上川沿いをのんびりと北上し左沢へ向かった。

米坂線の96

米坂線と長井線の接点今泉.1971年05月

米坂線の96  今泉

長井線長井の駅前旅館「和泉屋」に泊まる.

 朝日連峰を望み月山へ続く砂利道.

 最上川沿いを北上する砂利道.

 5月の木々と最上川沿いの集落.朝日町あたり

集落を拡大してみると茅葺き屋根の民家が懐かしい.

最上川の向こうに連なる白銀の山並み.