案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年11月24日木曜日

鹿児島交通 昭和44年(3)

田辺さんが加児島交通(南薩鉄道)訪問でまず向かったのがやはり加世田の車庫であった。南薩鉄道といえば加世田そして小型蒸機の群れでしょう。蒸機は昭和23~38年にかけて廃止されていて昭和44に屋外に留置されていたのは小型Cタンクが4両、C12型が3両であった。

red50keiさんの鹿児島交通(南薩鉄道)のサイトに保存機関車の詳細が紹介されています。

1969.2.10 撮影:田辺多知夫氏
手前から2号機、1号機、4号機と並ぶCタンク機

2号機 大2年 HANOMAG製

1号機 大2年 HANOMAG製 シリンダーの位置が異色で前方に突出している.

4号機 大15年日車製

5号機 昭5年製 これがTMSスタイルブック(1963年)に図面が紹介されたあの汽車会社製南薩5号機.カツミ模型のCタンクはこれをイメージしたが動輪がまるで貧弱だった。

13、14、12号機

12号機

参考:鉄道ピクトリアル「私鉄車両めぐり」第6分冊 鹿児島交通・南薩鉄道 谷口良忠著
参考:交友社「機関車の系譜図2」臼井茂信著

4 件のコメント:

baishirou さんのコメント...

広田尚敬氏の名著カラーブックス『蒸気機関車』
(保育社刊)。小生の手許に来たのはまだ幼少の
万博の年。今では綺麗に保存されたであろう往年
「加世田のハノーバー」は今も尚、赤錆びたまま
薩摩の景色に溶け込んでいます。

katsu さんのコメント...

Baishirouさん
広田尚敬氏のカラーブックス『蒸気機関車』の初版は1968年でしたね。
“「加世田のハノーバー」は今も尚、赤錆びたまま” とは
これですね。http://gyojinsou.exblog.jp/18820327
田辺さんの1969年の写真もきっと赤錆びたままの蒸機で、薩摩の景色に溶け込んでいたのでしょう。

Tomii さんのコメント...

昭和44年の時点で、5号機もかなり朽ちた状態だったんですね。
その後、蒸気機関車の復活運転の構想も持ち上がりましたが、結局、
実現せずに廃線となったのは残念でした。

katsu さんのコメント...

Tomiiさん
1964(昭和39)年、三井埠頭の5号機が動いていました。
相鉄C、南薩C、神中先従輪付1C1、はこんな関係でした。

三井埠頭記事コメントから。
この三井埠頭5号機は汽車製造1924年製で汽車製造の地方私鉄向けCタンクの基準となった相模鉄道向け4両の内の1両で、相模→国鉄→東野→三井埠頭という経歴を持っている。
動輪が少し大きい南薩5号機Cタンク、これに先従輪付とした神中3号機とともに地方私鉄タイプのタンク機として模型でもよく知られた蒸機である。