案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年10月5日水曜日

山陽電気軌道 早朝の大和町線1

 山陽電軌を彦島口からアップしたのが20112月、あれから5年以上も経ちました。時間が経てばたつほど背後に写る街並みが新鮮に見えてきます。そしてブログ環境も5年も経てば激変、今では小さな画像に不満だらけ、新しい画像を追加しリニューアルしてみます。

まだ薄暗い朝、街が動き出す頃 1967.2.27


大和町線の終点「彦島口」から下関に向けて似たような工場がや古い建屋が連なっていた。あの工場は何だったのか、写真を順に並べて工場の位置関係を確認してみた。工場の合間に点在する古い建屋はいかにも戦後の雰囲気を残している。

彦島口を発車した電車は大興製函段ボール工場の前を下関方面に向かう.背後には大衆食堂が2軒連なる.

段ボール工場の先には屋上にハムソーセージの看板掲げたマルハ工場が見える.

マルハ工場の出勤風景が始まる.大和町二冷前 


良く似た大きなビルは?  マルハ工場と思ったがよく見ればそうではなかった.電車の背後にタクシー会社と美容室が.

終点 彦島口、本州はここで終わる.この先の橋を渡ると彦島へ.左手に並行する山陽本線は彦島へ渡ってから関門トンネルにもぐる.左手に山陽本線下関のヤードがある.

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

リヤカーの夫婦、マルハ、ダンボール工場、周囲のものを取り込んだKatsuさん流写真。
電車まで生き生きと見えてきますね。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
ありかどうございます。
今回は早朝のリヤカーの夫婦をアップしたかったのです。
5年前に車両紹介をやりましたが、今回は背景に写る戦後風景をテーマにしてみようと思います。
作りながら少しずつ追加していきます。
電車の型式などはどうでも良いは私もCedarさんと同様です。