案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年10月22日土曜日

世田谷 弦巻3丁目

以前、弦巻3丁目の交差点のことを紹介したことがあります。この交差点のすぐ近くに1992年から(株)ネコ・パブリッシングがあったことを今日初めて知りました。会社が碑文谷へ移転する前に暫くこの弦巻に本社があって、その場所は昔から住んでいる友人宅の正面でした。

昭和30年代前半のバス停「弦巻3丁目」

ここが弦巻3丁目。昭和37から昭和41年にかけて鉄仲間と地方私鉄めぐりの旅プランを練ったたまり場、それがこの写真のバス停を降りたところの高校同級生のお宅であった。写真はその5年前くらいだろうか。

この写真を提供してくれたのがすぐ近くに昔から住んでいるもう一人の高校同級生(非鉄)で、今もよく電話する相手であるが、彼の家の正面にあるカーマニアらしきクルマが出入りするビルの昔話を以前からよく聞かされていた。そのビルこそが1992年に用賀から移転してきた(株)ネコ・パブリッシングであった。
初期のRMライブラリーでお世話になった頃は碑文谷に移転した後で、私は碑文谷以前のネコ・パブを全く知らなかった。


4 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

鉄仲間の家に集まってあれこれ鉄談義~学生時代の楽しい思い出です。
Cedarのそういう拠点は桜新町、豪徳寺、祖師ヶ谷大蔵と、なぜか世田谷に集中してました。
今上野毛にいるのも、そのせいかも?

katsu さんのコメント...

Cedarさん
確かに昔の世田谷には鉄道趣味関係が多かったようですね。
祖師谷には機芸出版社があったし、桜新町界隈は鉄ファンが多い気がします。

学生時代にもし弦巻3丁目のたまり場がなかったら私の地方私鉄めぐりもなかったでしょう。
そして、リタイア後に50年前に撮った成果を刈り取ることもなかったでしょう。

そんな学生時代のたまり場弦巻3丁目の交差点の目と鼻の先に30年後にネコ・パブがやってきたとは驚きました。
ネコ・パブが碑文谷時代のまえに桜新町近辺にあったことは聞いていたのですが、まさかこんな身近な所にあったとは。

宵闇 さんのコメント...

60年前の弦巻ってこんなにも鄙びていたんですね。

この分だと長津田や町田はド田舎ですね。

katsu さんのコメント...

宵闇さん
60年前の東京郊外は世田谷あたりに来ると大変な田舎でした。
タヌキが出るところがあったとか。
今や小ぎれいな高級新興住宅街には元ゴミ捨て場だったところがあったり、
あの時代は今では想像もできない大変な戦後風景があったわけです。