案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年7月11日月曜日

弘前の想い出

夏の津軽めぐりで訪れた弘前城の写真から、弘前の裏町から発車している弘前電気鉄道(紹介済)のことが思い起こされた。写真に7年の差があるが昭和48(1973)年は各地にまだまだ1960年代の風景が残されていたのだろう。

弘前城を訪れたのが1973年夏. この近くにある弘前電気鉄道を訪問したのは、この7年前1966年3月であった。


1973年、津軽から日本海側を五能線沿いに走ると、未舗装の凸凹道、古びた木造旅館、ドラムカン・自転車などの生活用具、いかにもその時代らしい風景が懐かしい。 旅館兼ガンガラ穴案内所

中央弘前を出た木造車は土淵川沿いに裏町を走り県立弘前高等学校の前でカーブする.
元国鉄のクハニ200形は最後まで木造のまま使われた.弘高下 1966.03.03

倉庫からリンゴの香りが漂ってきた西弘前駅  

クハ202+モハ105

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

モハ100のデザイン好きです、大栄車両形というか京成100形に似ていますね。

katsu さんのコメント...

モハ100で車体新製(大栄車両)したのはモハ105の1両だけだったのですね。
良くまとまっていて、日車標準型にも近いような?
モハ100で他の更新車も個性的で中々魅力的ですね。
この頃は個性派ぞろいの弘前電気鉄道でした。