案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2016年4月6日水曜日

昭和38年東京の自動車(都電杉並線3)

昭和38年青梅街道の街並みの写真を見ると、あの「三丁目の夕日」(昭和34年想定)のような東京のイメージがまだ残されています。荷満載のトラック、レトロなクルマ、ボンネットバス、都電、商店の建物と看板、遠くまで広々とした空、背の低い立木など。こんな東京の街並みは昭和40年に入って刻々と変貌して行った。

都電杉並線 1963.11.30 撮影:田辺多知夫
高円寺陸橋から見た街並み.

鍋谷横丁
鍋屋横町の子供たち
さよなら杉並線にかけつけた人々. 荻窪駅

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

廃止の日の杉並線はCedarも父と一緒に出かけました。荻窪駅と鍋横で写真撮りました~

katsu さんのコメント...

Cedarさん
廃線のお別れイベントはCedarさんの好みでないようですが、
父上と杉並線のよい思い出が作れて良かったですね。
私は廃線イベントではそこに集う人々の姿に関心があります。
杉並線のお別れの日は鍋屋横丁の光景を撮った人が多いようですね。
最終日そこへ行けばよかったのに私は沿線をよく知りませんでした。