案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年11月15日日曜日

多摩湖線のN101系

昨日朝、西武新宿線の上石神井近くの踏切でふと見ると新宿線からは消えたはずの3扉車が?  よくよく顔を見れば懐かしいN101系で4両全電動車263Fの回送でした。
通常は多摩湖線で営業運転しときどき機関車代わりに新秋津ありに出没する263F、今でも多摩湖線を走っているのでしょうか。ノーマルN101系が白一色塗りになってからすっかり遠のいてしまった多摩湖線の今を見に行きたくなってきました。

263F   一橋学園-国分寺  2009.11.15  
2007年春に入線した4両全電動車のN101系263F、デカい抵抗器をぶら下げ、全車両モータ付のパワフル電車はまるで大型模型のよう。今日はどこの舞台裏にいて何をやっているのか、西武新宿線ファンからいつもその日の所在を追跡されていた(当時のはなし)。多摩湖線で「1両目パンタグラフ付」通称"前パン"はこの全電動車だけ。

261F 一橋学園-国分寺 2009.11.15
あの頃、もう一つの多摩湖線名物がN101系261Fで2008年春の陽気の中をリバイバルカラーに化粧直しして登場した。窓回りが懐かしいの昔の西武の淡いうす茶に塗られ、このリバイバルカラー車が多摩湖線専用に走っていた。

朝の本町信号所(一橋学園-国分寺)を行くN101系   2010.02.08
朝、巨大エレクトロニクス産業に向かう通勤者の連なる光景には驚かされた。その後、あの巨大エレクトロニクス産業はどうなったのでしょうか。

2 件のコメント:

野村 さんのコメント...

何でしょう、シングルアームパンタになってから電車を写すことがなくなってきてしまったような気がします。
多摩湖線の沿線に住んでいるのですが・・・

katsu さんのコメント...

野村さん
多摩湖線の沿線に住まわれているとあまりにも身近過ぎて写すことが少ないのでしょうね。
ましてや車両の魅力が薄れてくると余計と思います。
私の場合、初めて多摩湖線に乗ったのが2008年1月の旧101系引退の時でした。
身近な存在ながらそれまで全く乗ることはなく初めての訪問が新鮮でしばらくの間撮っていました。
新宿線N101系が消えて多摩湖線にN101系が残っているものの、多摩川線と共用の真っ白けになりすっかり遠のきました。多摩湖線の沿線風情を撮りたいので電車にこだわりは無いのですが、真っ白では意欲が無くなります。