案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2015年8月31日月曜日

日本人が初めてみた蒸気機関車(模型) 2

松代の真田宝物館は屋代線松代駅跡のすぐ近くでした。
宝物館訪問の目的は、嘉永7年(1854年)に横浜に陸揚げされた蒸気車模型を見た絵師が自分の目で書き写した写生絵図が2年前に初めて真田宝物館に寄託されたので、写生絵図とその後の関係を確認することでした。以下は真田宝物館で確認できたことです。

1.樋畑翁輔の遺稿とは何を指すのか? 
松代藩藩士 樋畑翁輔が蒸気車の絵図含め17場面で構成された「米国水師提督彼理氏来朝絵図草稿」の絵巻物(12.5m)が翁輔の遺稿であり、これが真田宝物館に寄託された。

この「米国水師提督彼理氏来朝絵図草稿」絵巻物は常設展示でなく今回見ることできなかったが、これが展示された時は、取材カメラなどなかった嘉永7年に初めて見た蒸気車を絵師の目を通して描かれた驚くほど克明な絵図現物を見ることができる。

2.写生絵図そのもの(原画)は現存するのか?
「米国水師提督彼理氏来朝絵図草稿」絵巻物そのものが写生図絵を集めた原画集であり、樋畑家直系から真田美術館に寄託され現存している。これを元に着色された様々な模写絵が出回っているが原画とは少しずつ異なる。

3.昭和5年に上梓された「米国使節彼里提督来朝図絵」(印刷物)との関係は?
樋畑雪湖が父翁輔の写生絵図原画を集めて上記絵巻物に仕上げ、それを元に編集した冊子が「米国使節彼里提督来朝図絵」で、掲載された絵図↓は写生絵図そのものを印刷化していると思われる。

上図は本の絵を部分拡大したもので、写生絵図を印刷化したので滲みが出ているが、写生絵図原画を撮った部分写真↓を見ると弁装置などが恐ろしく緻密に(当たり前か?)描かれている。

写生絵図原画を撮った画像データの一部.絵師のタッチがわかる.

昭和5年に上梓された「米国使節彼里提督来朝図絵」(印刷物)

日本初は蒸気車だけでなく、泰平の眠りを覚ました西洋音楽(ポピュラー、クラシック)が日本で初めて演奏された場面等もこの絵巻物に収められています。真田宝物館で今後この絵巻物が公開される日が楽しみです。
尚、2013年6月5日の朝日新聞に大英博物館がこれの着色された絵巻物(15m)を美術商から入手し公開を始めた事が紹介されました。


出典
・「松代藩と黒船来航」 松代文化施設等管理事務所 発行 H25年
・「松代」 第28号     松代文化施設等管理事務所 発行 H27年
・「米国使節彼里提督来朝図絵」 樋畑雪湖:著  発行 昭和5年
・「米国使節彼里提督来朝図絵」絵巻原画の撮影データ 松代文化施設等管理事務所 

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