案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年11月27日木曜日

世田谷区喜多見 闇夜の電波塔

今も世田谷弦巻に住む友人と昔の世田谷の夜は真っ暗だったとの話から思い出したことがある。喜多見の世田谷通りから成城の山(国分寺崖線)にかけて夜になると真っ暗闇であった。道路を走るクルマの灯りも滅多になく街頭もない、点在する家々はまだ蛍光灯ではなく白熱燈だった、テレビもまだ無い昭和25年頃だったと思われる。

喜多見は世田谷の外れで人家も少なかった。喜多見から成城の山(国分寺崖線)にかけて闇夜の中に一際目についたのが山の上のNHK砧放送技術研究所の電波塔の灯りであった。夜道を歩いていると電波塔の先が赤く点滅するのがよい目印になった。近くの工場の浴場を銭湯代わりに使わせてもらっていた時代で、風呂上がりの帰り道、闇夜の中に眺めた電波塔の赤い灯が今も鮮明に記憶に残っている。
この電波塔で1951(昭和26)年からテレビの試験放送が開始されたそうである。

昭和28年の喜多見駅前.踏切を渡って直進すると世田谷通りに出る.世田谷の外れで狛江町と隣接している。

昭和28年の喜多見駅. 狛江市吉原様所蔵

上の写真の10年後も変わってなく、うっそうとした喜多見の木立と成城の山.成城 - 喜多見 1962(昭和37)年12月

2014年11月23日日曜日

世田谷区弦巻 昭和30年代

バス停「弦巻3丁目」桜新町から弦巻営業所へ向かうバス. ボンネットバス、非舗装路、コンクリート製ゴミ箱、まばらな住宅が時代を象徴する。

世田谷区弦巻。
昭和37から昭和41年にかけて鉄仲間と地方私鉄訪問の旅プランを練るのに集まったたまり場、それがこの写真のバス停を降りたところのお宅であった。この写真が撮影されたのはおそらく昭和30年代前半と思われる。

この交差点から少し離れたところに当時から住む友人(非鉄)が懐かしいバス停「弦巻3丁目」の写真を持っているというので当時の生活風景の写真含めて提供いただいた。

世田谷もまだのどかでバス通りから少し入ると畑が広がり空が広い。
こんな東京の風景も地方の風景も同じようで日本中どこも長閑な時代であった。

さんさんと陽を浴びて洗濯物を干す先に畑が広がる

風呂場の煙突の先にバス道路沿いに建つ平屋の住宅.遠くに駒沢給水塔が見える.風呂付の1軒家はまだ贅沢な時代だったのでしょう

正月に羽根つきで遊ぶ.周辺には竹やぶや畑が拡がる


弦巻3丁目の看板にあった「眞中パン」の話題。
世田谷で子供の頃を過ごした人にとって「眞中パン」は紅梅キャラメルと同じような子供時代の懐かしい存在ではないでしょうか。
聞いた話によると、小さなパン屋だった眞中パンが用賀に大きなパン工場(パン屋さん組合?)を建て、事業拡大したが10年持たずに消えたそうで、存在したのは紅梅キャラメルと同様に僅かな期間だったようです。

用賀に建てた大きなパン工場とは馬事公苑と大山街道の間にあった旧陸軍衛生材料廠跡地(後の厚生省東京衛生試験所)の脇にあったそうです。

2014年11月19日水曜日

加越能鉄道 高岡駅前

先日のChitetsuさん(吊り掛け電車をもとめて)の加越能モノクロ写真に刺激されて、私もネガを探してみました。昭和50年、もう鉄撮りは止めていた頃で高岡のアルミ建材メーカへ何回か出張した時に何故かカメラを向けたものです。昭和50年頃から鉄道を撮らない時代が約30年も続き惜しいことをしました。

高岡の駅前通り 1975.08.05
七夕シーズンでにぎやかな七夕飾りと路面電車のカラーリングに全く関心が向かなかったが、40年という時間の経過があの頃の風景を貴重に感じさせてくれる。

国鉄高岡駅前の加越能鉄道電車のりば


傾いた写真を修正しようと思っていたら電車が右に傾いているせいであった.

2014年11月13日木曜日

西武 所沢駅

西武国分寺線(国分寺~東村山)では東村山から新宿線に入り国分寺~本川越間の直通運転が1時間に1往復走っている(いた?)。この直通運転のN101系を追いかけた頃に撮った所沢駅を見ると今ではすっかり新装なった所沢駅の昔が懐かしい。

写真の左手に改札口があり、その奥の古い跨線橋まで昼でも暗いホームであった。N101系が停車していると地方私鉄を感じさせる風景で、暗い灯りの下の店舗はまるで地方駅の名産店のようであった。

国分寺線の本川越発国分寺行き 所沢駅新宿線2番ホーム  2009.06.22


2013年6月に完成した所沢駅改良工事で橋上駅舎となった現在の所沢駅 2014年8月
左手にあった地上の改札口が無くなり全てが一新した。何ともないあたり前の駅風景がこうして一つひとつ消えていく。

2014年11月9日日曜日

お知らせ Bloggerのトラブル

昨日は丸一日Googleの日本ブログがすべて開けない状態だったようでご迷惑おかけしました。

GoogleのBloggerサービスで障害が発生し、日本からブログページを閲覧できない状況になっていたようです。本日朝一にはほぼ回復したようで、やれやれホッとしました。
ご迷惑をおかけしました。

2014年11月5日水曜日

オリンパスペンSで撮ったお気に入り 2

和歌山軌道線  東和歌山駅前 1964.07.10
ハーフ判フィルムのシャープでないところが遠い昔の時代をより感じさせてくれる。

越後交通栃尾線ホハ11  元都電杉並線路面電車の珍奇な軽便客車.1964.03.22
オリンパスペンは車内や庫内を記録するのに最適であった。

島の電車庫. 淡路交通宇山車庫   1965.08.02
 車庫内光景の陰影はオリンパスペンはなぜかよく写る。

雄勝線 元日立電鉄のトレーラ ホハフ5  1964.08.05
陰影のある車両写真でオリンパスペン独特の深みあるトーン。

庄内交通湯野浜線が走っていた頃の庄内砂丘。ハーフ判には35mm判にはない荒涼とした感じが出る。

小田急電鉄 畑の中の海老名駅  1963.10.20 
東京近郊は35mmフィルムではもったいなくて、よくオリンパスペンで撮ったものだがペンで撮った東京近郊を今見ると驚くばかりの光景だ。

井笠鉄道 北川駅の本線と矢掛線 1967.03.08
オリンパスペンSで撮った最後のフィルム。ハーフ判ながら4切程度まで引き伸ばせた1枚。

2014年11月2日日曜日

オリンパスペンSで撮ったお気に入り 1

私がオリンパスペンSを使い始めたのは昭和38年春で、昭和42年春には撮ったネガが終わっていて、ペンが使われたのはたった4年間だけであった。この4年間は東京オリンピック開催(昭和39年)を挟んで昭和30年代の雰囲気をまだ色濃く残していた時代であった。すでにアップ済みですが私のお気に入りを何枚かアップしてみます。

東急多摩川線 玉電瀬田  1965.7.27
この時代のこの駅前を舞台にした小説「夜間急行」が昨年末に出版された.

江ノ電 腰越 1963.4.28
子供時代が思い出される遊びの時間.この男の子の刈あげ頭が子供らしい.

奥山線 祝田  1964.3.23
埃まみれ未舗装路を遠鉄バスが並行して走っていた.


奥山線 奥山駅の見送り  1963.4.4
桜満開の奥山駅はこの数日後の桜散る頃に廃線で消滅した.