案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年4月30日水曜日

本橋成一写真展「上野駅の幕間」

写真家 本橋成一氏の写真展「上野駅の幕間」を見て来ました。
上野駅の1979~1982年3年間を撮った作品で、鉄道ファンとは視点が全く異なる
迫力の鉄道風景が衝撃的でした。
この時代までは上野駅に限らずどこの駅でも題材が宝の山だったでしょう。
鉄道ファン向け誌の写真にはこういう視点はまず無かった。今思えば残念なことをしたものです。

5月2日(金)まで開催 品川キャノンギャラリーS

2014年4月29日火曜日

渋谷玉川改札の昔

学生の頃、井の頭線から都電34番への乗換えで日々この写真のところを歩いていましたが、山手線の改札口がここにあったことは覚えていても正確な事までは記憶になく、今ある渋谷玉川改札の位置は昔あった山手線改札口の位置と同じと言えるかどうか?

① 1969年に玉電渋谷駅から山手線改札口方面を撮っが、混みあう人の流れの向きからすると柱3左下の位置に今の渋谷玉川改札より間口が狭い山手線改札口があったのではないでしょうか? (写真上)
② そして昔の写真の柱3は、今の玉川改札の右脇にある柱3ではないでしょうか? (写真下)

玉電渋谷駅から山手線改札口(推定)を見る.柱1に架線末端がある梁1が繋がる.1969年4月

今の山手線渋谷玉川改札. 2010年

2014年4月27日日曜日

昭和37年頃の小田急(続) 

小田急電鉄で昭和30年代の喜多見~和泉多摩川あたり風景を以前アップしたことがあります。

あの頃の小田急 (1964年7月)
昭和37年頃の小田急 (1962年9月)

昭和37年の小田急で更にこの1枚を見ると、喜多見駅周辺の田畑、遠くに高く延びる木立ち、低い民家の佇まい、殺風景な光景を照らす茫とした日差しなど、子供の頃の淡い思い出と伴にこの時代特有のものを感じてしまう。私鉄郊外電車は高架駅ではなく地上駅に愛着を感じるのはこんなところから来ているのかも知れない。

喜多見駅の風景 1962年9月


多摩川を渡る貨物列車. 和泉多摩川

多摩川を渡る1400の3連. 和泉多摩川

ED1011  成城-喜多見 1962年12月
 
貨物列車とうっそうとした喜多見の木立. 成城-喜多見 1962年12月

ED1041   経堂車庫  1962年9月

2014年4月24日木曜日

京王線 中型車最後の活躍3

デハ2400形2403を先頭に5両編成は全車パンタ付. 下高井戸 1963年4月
      この中型車5連をアップしたのが2011年7月の「京王線 中型車最後の活躍」でしたが
1、2 に引き続き3をアップしてみます。

8月4日の昇圧化直前で世田谷の田園を行く最後の中型車 1963.07.31

デハ2402  桜上水下り線 1963.07.31

デハ2125  桜上水下り線  1963.07.31

デハ2410  撮影場所不明 1963.07.31


昇圧化後の桜上水車庫 1963.08.11

8月4日昇圧化直前の桜上水風景。 デハ2719 1963.07.31

 
昇圧化直前の暮れゆく桜上水風景。現役中型車を見のはこれが最後だった。  

2014年4月21日月曜日

京王線 5000系のデビュー

1963年8月の京王線の1500V昇圧化で、1500V専用車としてデビューした5000系は8月4日から運転開始され、8月11日には5000系の試乗会があり高幡不動まで試乗を楽しんだ。その時のメモは何も残っていなかったが100km/h超えの車窓風景に恐怖感を覚えた記憶がある。まだ新幹線開業前のことであった。


グリーンカラーの京王線にアイボリーカラー5000系がデビュー.高幡不動 1963.08.11

 パノラミックウィンドウが斬新であった5000系
5000系運転席

2700の機器流用した新製5070系2連+従来型
急行[ 東八王子-新宿]  高幡不動

アイボリーカラーだが良く見ると従来型2700系+新製5070系.
まだ殺風景だった高幡不動の駅周辺.

従来型2010系 高幡不動

2014年4月18日金曜日

京王線 甲州街道を行く

1963年4月に京王線新宿駅の地下駅が開業し、
更にその年の8月には架線電圧が昇圧化(600→1500V)され初の1500V専用車が登場した。
600V電車が走っていた新宿地上駅と地上線を走る最後の光景はこんなであった。

最後の新宿地上駅 1963年4月 
新宿地上駅を出るとすぐカーブして甲州街道のど真ん中を走っていた京王線。新宿地下駅が開業する直前の光景で、甲州街道を右手へ進んだ橋の上にある国鉄新宿駅南口は工事中のようだ。 駅の周辺にはまだ高いビルもなく新宿もすっきりしていた。

甲州街道から新宿駅西口方面、新宿駅南口を見た現在の風景。 2014年5月
あの長閑な新宿駅周辺もあっという間にビルが林立する風景となり、
新宿地上駅があったところに京王百貨店が建つ。

デハ2150形2165  新宿-初台 1963年4月 
甲州街道の道路中央を専用軌道化した区間をダブルルーフの600V電車が走っていた.
1963年4月に現在の新宿地下駅が完成し、この風景もこの直後に地下化された.

甲州街道から別れて専用軌道へ入り初台へ向かう. 新宿-初台 1963年4月

地下化工事中の新宿-初台 1963年4月
新宿駅は地下化されたが、文化服装学院から初台まではまだ地下化工事中で
この区間の地下化が完成したのは翌年の6月であった。

2014年4月15日火曜日

身近な私鉄車両めぐり

碑文谷のデワ3001を撮りに行った1963年4月は玉川園前から二子玉川園へ出て下高井戸から京王線の桜上水車庫へと向かった。当時の東京の風景が背景に写っていないか必死に探したが車両だけで身近な私鉄を撮るといつも「車両めぐり」になっていた。あの頃の身近な私鉄では車両以外は全く関心がなかったのだろう。

多摩川園前駅(現在の多摩川駅)を行くデキ3021.  1963年4月
背後に目蒲線と多摩川園遊園地が見える.

東急デワ3041の木造車時代

惜しい事に何枚撮っても車両以外は何も写っていなかった二子玉川園駅の風景.
当時の二子玉川園駅は今では信じられない長閑な風景に満ち溢れていた.
 背後に写る大井町線二子玉川園駅
大井町線の沿線風景

京王線の電動貨車デト212. 桜上水車庫

デハ2600形 桜上水車庫

調べると疲れる京王14m級中型車で、中間車に改造されたサハ2531. 桜上水車庫

京王線桜上水駅の風景. 
どちらの2010系も中型車で中間車となったサハが組込まれた編成であった.

2014年4月13日日曜日

東急の電動貨車デワ3000形

東急碑文谷工場のデワ3000形3001を撮りに行ったのは1963年の4月であった。
この3001は1963年まで放置されていたらしく、このあと解体となったのだろうか。
東急にはデワ3000形とデト3010形がいて、デトはその後デワに改造されたものもあり、これらのデワ3両が秋田中央交通のデワ3001~3003となっている。秋田ではデワが気動車崩れのトレーラを牽く光景が実に魅力的であった。

碑文谷工場のデワ3001  1963年4月

1947年に東急の電動貨車デト3011を譲受した江ノ島電鉄デト2   1963.4.28


吹雪の五城目車庫

秋田中央交通軌道線のデワ3002と3003  1966.03.05

模型用の形式写真 デワ3001

2014年4月10日木曜日

縮尺1/6のナロー鉄道

先日、OB先輩の縮尺1/6のナロー鉄道を訪問し人力トロッコに試乗させてもらいました。

家の周りに敷かれた「狭いせんろ」5インチ(127mm)ゲージは6倍すると30インチ(762mm)ゲージとなる。エンドレスと引込線からなる線路配置はまさにレイアウトの感じだ。
庭の自然にとけこんだ本格的な「狭いせんろ」は見ているだけで楽しく、製作中の動力機などが完成して走行すると巨大な乗れるナローレイアウトとなる。
なんともスケールのでかいナローレイアウトである !

実感的に作られた縮尺1/6の線路(127mmゲージ)   2014年4月

引込線と縮尺1/6模型の大きさ

製作中のナロー木造客車の巨大なこと!

2014年4月7日月曜日

葛生のナロー5

葛生から鹿沼を通り宇都宮に向かう国道293号線を走ると、葛生にあるセメント工場から出ている軌道が併行し、やがて軌道を横切る踏切に出る。この道は車で何回か走ったことがあり、この辺りで待っていれば頻繁にやって来る列車をいくらでも撮ることができたのにいつも素通りであった。
この写真を撮った日は初めて車を使った鉄道撮影で、余りにも楽ちんな沿線撮影であった。

国道293号線の踏切で、交換所があり行く手に石灰岩採掘の山が見える.1971.04.25

踏切を通過して行く鉱車.
半年前に中古カローラを買って、住んでいた小山から葛生まではあっという間であった.

交換所

3'6''ゲージ会沢線と並走する区間に入る

会沢線と別れハイライト区間に入る

踏切の手前を住友セメント栃木工場へ向かう列車

クリックで葛生のナロー1~5が繋がります→住友セメント唐沢鉱山