案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年8月3日日曜日

昭和42年 唐戸の秋田商会ビル

先日のChitetsuさんの北九州~下関で、下関は唐戸にある変わった建築の現状が
Chitetsuさんの建物ブログ唐戸の秋田商会ビルに詳細にレポートされました。
この旧秋田商会ビルの解説書看板を読むとなるほど! 建築のいわれはこういう事でしたか。

見覚えのあるユニークな建築は昭和42年に山陽電気軌道の唐戸で見たこの風景でした。


ユニークな建築(秋田商会ビル) が街に溶け込んだ唐戸の風景. 1967.02.27

唐戸の大通りに路面電車が走っていた.

山陽電気軌道の電停 「唐戸」
商店街「唐戸銀天街」の看板が見える

2月末の山陽路はもう春.強い日差しであった.

4 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

唐戸の電車風景、楽しく拝見させて頂きました。
現在の唐戸に比べて活気溢れる風景ですね。
写真に写っている商店街も歩きましたが、寂しい風景になっていました。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
お陰さまであの変な建物が何だったのか良く判りました。
あれが事務所だったのですね。
あの頃の街には活気がありました。
公共交通が衰退しクルマ社会になると街中に人が居なくなり街が寂びれますね。

Cedar さんのコメント...

山陽電軌は西鉄北九州線に嵌ってる頃、いつか行こうと思っているうちに消えてしまいました。標準軌間好きの癖がいけません。古い港町の風情は撮影すべきでした。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
山陽電軌は地味な路面電車でしたね。
大都市路面とは違って撮影するには丁度よい規模が良いところでした。
沿線には下関の街の風情もいろいろとあったでしょうけど、悲しいかな何も知りませんでした。。
唐戸は知らなかったけどフグで有名な唐戸市場が元電停のすぐ近くにあるんですね。
こちらは今大変活気があるようです。
電車は無くなってもこんな魚市場のある唐戸には惹きつけられます。