案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年5月16日金曜日

遠鉄奥山線 最後の日4

以前「奥山線最後の日」をアップした時に行方不明であったハーフサイズのネガがやっと見つかり、気になっていた気賀口のボギー貨車と最後の日(追加版)をアップしてみます。 奥山線最後の日-1

1964年秋に全廃となった遠州鉄道奥山線は、1963年春までは気賀口から先 奥山まで走っていた。奥山駅が消える直前に奥山の車庫に居たボギー貨車は、その後気賀口に移され、翌年の全廃まで奥山線の行止り狭隘なところに留置されていた。この年この現場を2回訪問したが貨車は使われた様子はなく、そこはまるで民家の庭先のような風景であった。

気賀口のワ1301. 1964.10.31
線路はここで終わるが、1年前はこの先を右へカーブし奥山まで線路があった。
 気賀口のワ1301
大正3年名古屋電車製作所製 荷重5瓲 自重3.1瓲
奥山線標準アーチバー  軸距1016mm、車輪径530φ(奥山線車両竣功図より)

奥山線の線路が終わるところ.1964.03.23
車止から先の廃線跡は道路を横切った先を線路を外された築堤カーブが延びていた.

国鉄二俣線3'6''ゲージと奥山線2'6''ゲージの並走区間. 奥山線「岡地」駅 1964.10.31
C58が走っていた国鉄ローカル線が堂々とした線路に見える.

最後の日の曳馬野風景 1964.10.31

最後の日の翌日元城車庫風景. 1964.11.01

お世話になった遠鉄の方々と撮った最後の記念写真.元城 1964.11.01
学生服3人が私達鉄仲間で、先輩の鉄ファン達は礼儀正しくネクタイを締めていた。
私達はどこへ行くのも何故か学生服を着ていた。