案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年5月7日水曜日

昭和38年 夜行列車と浅間線

写真展「上野駅の幕間」と浅間線の話題から、昭和38年の夜行列車と浅間線のことが懐かしく思い出されてきます。1962(昭37)年~1967(昭42)年のよく夜行列車を利用した時代は、先日の写真展の上野駅風景から更に15年も昔のことであった。
あの時代の夜行列車の駅や車内が一体どんな風景であったのか自分のカメラで記録してなく悔やまれて仕方ないが、日誌の記録より1963(昭38)年夏の新宿発長野行き準急「穂高」夜行列車から翌朝の松本駅前までを追ってみました。

「ニュー東京」から見た昭和38年の有楽町風景.1963.07.19
1963(昭38)年7月19日。この日はまもなく消える京王の中型車を下高井戸~代田橋で撮って夕方に鉄道友の会の写真部会が開催される有楽町の「ニュー東京」へ向かった。友の会のアプト見学会の前々日で8mmを見たりして21時過ぎに「ニュー東京」を出た。

有楽町で切符を買い新宿駅に着くと22:35発の長野行準急「穂高」は既にホームに列車が入線し客車内は満員で空席なし、他に何本かある夜行列車のどれも登山客で長蛇の列。仕方なく「穂高」の車内通路の床に座る事にした。
発車時刻になる頃は床スペースも満杯となり、登山客満載した列車はまるで登山貸切列車のようであった。八王子あたりからは通路を移動する客もいなくなり眠ろうとしたが床に身体を丸めて横になるスペースもなく殆ど眠らずであった。
列車は甲府でDF50重連に付け替えし4時過ぎ頃に塩尻に到着すると、やっと座席に座ることができた。しかし松本までは1時間もなく殆ど眠らず早朝のうす暗い松本駅に4:45到着した。

費用削減で夜行列車はいつも自由席であり、寝台列車や特急などは縁遠い存在であった。何時間も駅で並ぶことで大抵は自由席が確保できたが盆暮れシーズンには床に新聞紙を敷いて寝る事があった。しかしこの松本ヘ向かった時の夜行列車は床に横になることさえできない超満員の一夜であった。
あの頃はコンビニも自動販売機もペットボトルも無かった時代、鉄撮り旅で水筒を持っていった記憶もない。クーラも付いてない真夏の超満員夜行列車でどうやって水分補給していたのだろうか? 駅にある水飲み場でなんとかなったのだろうか。

まだマイカー時代到来する前の頃、若者達の余暇の楽しみ方は登山やハイキング等が上位を占めていたのだろう。新宿駅の地下通路や階段に列をなすリュック客や松本駅前の賑わいはあの時代特有の風景であったと思われる。夜行列車を使って全国各地をめぐるリュックを背負った若者も多かった。そんな旅人達と車中で言葉を交わすと、秘境旅であそこが良かった、これから何処へ行く等の旅の話題が噛みあわず鉄ちゃん旅がなんとも悲しかった。

始発前で薄暗い浅間温泉行き電車のりば.1963.07.20
薄暗い早朝の国鉄松本駅前に見つけた浅間線の線路に歓喜! カーブした線路の先へ進むと駅前広場の隅に2本のホームからなる駅があった。暗い駅には薄汚れた木造電車が2両停車していて始発まではまだ30分あった。廃線ムードが漂うひと気のない駅はまるで廃線後のようであった。国鉄松本駅前はどの商店もまだ閉まっていたが駅前のバス停には登山客が溢れ、ここだけは日の出前の早朝の感じではなかった。

松本駅前で登山客を乗せたバスが次々発車して行くと、やがて浅間線始発電車がホイッスルを鳴らし駅前にゴトゴト出てきた。朝食をとるのも忘れ早朝の駅前通りを進むと人もまばらで静まり返った街の中を電車が何本か通り過ぎて行った。
昭和30年代を色濃く残した松本駅前通りの佇まい

1段下がった運転台、そして昔の車内デザインの素晴らしさ.

 昼頃の国鉄松本駅前  
早朝の駅前通りの写真は「浅間線 早朝の温泉行き電車」にあります。

6 件のコメント:

#9999 さんのコメント...

初めて購入した鉄道趣味誌、鉄道ピクトリアル(昭和39年1月号)で松本電気鉄道を知りました。もう手元にはありませんが、穴が開くほど読みふけった想い出があります。
当時仙台市電くらいしか知らなかった私にとって、救助網を付けて専用軌道をゆく路面電車は新鮮でした。

昭和40年頃までに廃止された地方私鉄の多くは、路線長が短くバスへの転換が容易な路線が多く、このような私鉄の多くは車両の更新も行われず消えて行きましたね。何れも旧型車両の宝庫だったのではないでしょうか。

子供の頃に父親と乗った、秋保電鉄長町駅の丸いホームと、その先に広がる小ぢんまりとしたヤードが、私にとっての地方私鉄原風景です。鉄道に興味を持つ前だったせいか、電車の記憶は全くないのです。

chitetsu さんのコメント...

夜行列車の記憶、鮮烈ですね。
時代は随分後の70年代、私も大糸線を見にゆく時に夜行のアルプスで確か松本まで立ちずくめで床に座ることも出来なかった記憶が蘇って来ました。
早朝の松本の空気感、お写真から伝わってきますね。
閑話休題、ひょんなことから羽後交通のデハ3の模型を入手しました。
Katsuさんのデハの写真見てうっとりしているところです。

katsu さんのコメント...

#9999さん
鉄道ピクトリルに紹介されたのは知りませんでした。
昭和40年直前は魅力的な地方私鉄の廃線ラッシュでした。今見ると物凄い旧型車両がいろいろいましがその後一気に消滅したようです。
次々消える路線を追いかけていましたが撮り逃がした路線も沢山あります。
秋保電鉄いいですね。秋保や秋葉線は行けませんでしたが究極の電化線で憧れています。
秋保電鉄は鉄道模型趣味に紹介され、私も穴があくほど読みふけりました。凸電の石材列車なんかは堪りませんね。

katsu さんのコメント...

chitetsu さん
70年代も中央線の山男列車が走っていたのですね。
夜行アルプスで松本まで立ちずくめとは!
床に座れた我々はまだマシな方ですね。
先日の写真展「上野駅の幕間」で80年代初め頃までもの凄い国鉄風景が残っていたのが意外でした。
夜行列車の混雑風景は60年代までと思っていましたが、そうでもなく後々まで続いたようですね。
羽後交通のデハ3の模型ですか!いいですね!
あの超精密な模型ですね。

#9999 さんのコメント...

秋保電鉄ねたでもう一つ

廃止後、車両は仙台市東部のバス会社車庫脇の広い空地に集められ、電車や付随車が、斜め(20°位)に揃えて立て掛けてあったのをバスから見たことがあります。長町駅は仙台市西部ですので、焼却を伴う解体目的でわざわざ運んだものと思われます。

カメラを入手して間もなく見に行ったところ、既にもぬけの空で、空地には有蓋車の車体だけがポツンと置いてありました。

katsu さんのコメント...

#9999さん
無性に秋保電鉄の記事が懐かしくなって、売却処分した兄の鉄道模型趣味誌を買戻しに行こうと思っていたら
何と秋保電鉄が紹介された86号(1955年)は手元にありました。
別の記事で買い戻してあったのです。
最後尾にこの有蓋車を連結した石材列車を牽く凸電の風景がありました。