案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2014年1月23日木曜日

昭和37年の旅 尾道から敦賀、黒井へ

昭和37年の旅の東京発東京行き片道一筆書き切符1720円(学割)が行方不明で、これが出てきたら切符を添えてどんなルートをたどったのか全行程を纏めてみたいと思います。今までアップしてきた金沢、富山、黒井、尾道はその断片です。旅の日誌が下津井電鉄で途切れているため、残されていた移動ルートと出費のメモから尾道~敦賀~黒井までの旅をたどってみました。

7月30日。夕方に尾道に到着し尾道鉄道を撮って尾道駅前で夕食90円をとる。
山陽本線で尾道発20:26に乗り広島着22:59。広島発23:55の準急ちどり(車中泊)で米子へ向かう。

7月31日。朝6:12に米子に到着し日の丸自動車法勝寺線を撮って、米子発8:07の山陰本線大阪行鈍行に乗り加悦鉄道を目指す。朝昼兼用で山陰線の駅弁(昼)100円を奮発。
豊岡で宮津線に乗換え丹後山田に14:15到着。加悦鉄道を加悦まで往復し丹後山田発17時の臨時京都行きで西舞鶴へ。西舞鶴で小浜線に乗換え敦賀に21:15到着。駅前のたまご丼70円がこの日の夕食。敦賀駅前旅館(素泊まり450円)泊。

8月1日。敦賀朝7:47発の直江津行きに乗り小松に11:20到着、北鉄小松線を撮って尾小屋鉄道を往復し小松発16:58で金沢に17:52到着。夕食はカレーライス90円で金沢駅前の大丸旅館(素泊まり500円)泊。

8月2日。金沢朝6:35発の七尾行きに乗り羽咋に7:45到着。北鉄能登線の滝で切り上げ13:55発で津幡に戻り昼食ラーメン60円。津幡から富山に夜到着。富山駅前の月見旅館(夕食付770円)泊。

8月3日。富山朝7:15発の新潟行鈍行に乗り黒井に11:05到着。頸城鉄道を浦川原まで往復し夕方まで撮影。直江津発19:51の上野行鈍行612レ(車中泊)で上野に4:55到着。

朝6~8時の米子滞在で日の丸自動車法勝寺電鉄を撮る.1962.07.31

米子8:07発の大阪行鈍行が御来屋(みくりや)で急行「白兎」に抜かれる
鈍行714レの牽引はSLではなくDF50だったのでしょう.

倉吉線を撮ったつもりが、C12なら鳥取駅か?

車窓の山陰の海辺に茅葺屋根が見える

余部鉄橋を渡る

豊岡から宮津線で丹後山田に14:15に到着. C51バック運転の客列車と交換する.

丹後山田駅の加悦鉄道

舞鶴線の96客列車.  夕方の西舞鶴駅
西舞鶴で宮津線から小浜線に乗換えて敦賀へ向かう.

8 件のコメント:

青蛙 さんのコメント...

ノートを亡くした割には事細かに記録してありますね。小生の記録は駅構内の配置図と車両の下調べをしたものと実見したものとの調査結果だけです。小遣い帳や日記の一部は英の建て替え字の引っ越しの際紛失。改めてKATUさんの記録で当時の様子がよみがえります。日の丸自動車法勝寺線を全線乗車したかったです。

katsu さんのコメント...

青蛙さん
無くしたのは国鉄一筆書切符で、日誌ノートは無くしてはないのですが書込むのをサボって真っ白になっていたものです。
今回の記録は移動経路の発着時刻を記録していたので昭37年時刻表と付け合わせをしました。
あとは出費記録によりどこへ立寄ったか、何を食べたか、どこへ泊まったか、などが判明したものです。
私も鉄道の調査の記録は残っているのですが、日誌が無いので訪問記が書けません。
しっかり日誌を書いておくことが大事ですね。

H. O. さんのコメント...

すばらしい写真を見せて頂き,ありがとうございました。1960年代に一時鳥取に住んでいましたので,山陰本線の車窓風景,特になつかしく拝見しました。豊岡のC51は宮津線にも運用されていたのですね。初めて知りました。さっそく当時の時刻表を調べてみましたが,該当する旅客列車がありません。バック運転とあわせて考えると回送列車かも知れませんね。当時の山陰地方の写真,いつかもっと見せて頂けるとうれしいです。

katsu さんのコメント...

H.O.さん
コメントありがとうございました。
確かに時刻表を見ると丹後山田の14:15頃にSL旅客豊岡行きはありませんね。
バック運転は回送列車でしたか。御教示ありがとうございました。
もし時刻表を見ていたら自分の時刻メモはつじつま合わない間違いか? になるところでした。
残念ながら移動中の山陰風景の写真は極端に少なく惜しいことをしました。
移動中の写真もしっかり撮っておくべきですね。

影武者 さんのコメント...

日の丸自動車法勝寺電鉄といえば、Katsuさんも好んでおられたデハ203が現在修復作業中だそうです。

https://www.facebook.com/HOSSHOUJIDENSHA1924
http://gkk-yonago.co.jp/service3bhd.html
http://blog.zige.jp/morimaki-f-n/kiji/445222.html

南部町 公報なんぶ2012年9月号より
http://www.town.nanbu.tottori.jp/photolib/kikaku/6863.pdf

製造当初ではなく、地域に馴染みのある廃線時の姿に復元ってのがいいですね。
搬出時のイベントを見てもわかりますが、単なる遺物ではなく現役時代を知る人にも知らない人にも
未だ愛され続ける存在なのが非常に素晴らしいと思います。
復元後は南部町内の別の場所に移されるとの事で、これからも末永くその愛らしい姿を見られそうです。

katsu さんのコメント...

影武者さん
いつもサイト情報をありがとうございます。
素晴らしいデハ203や客車が保存されていたのを以前ネットで見たことがありますが、
今回のFacebook法勝寺電車など現地レポートで刻々と様子が判るが素晴らしいですね!
デハ203が改修されたら素晴らしい電車に会いに行きたいものです。

chitetsu さんのコメント...

昔日の旅の記録、楽しく拝見しました。
当時乗った列車や泊まった旅館や食べ物などの時間や料金の記録があると時代の雰囲気がリアルに伝わって来て楽しいですね。
自分は車両の撮影記録ばかりでそれ以外の行動記録をつけなかったので、何処でどうしたのか今やてんで分かりません…

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
日誌をつけてなかったので苦肉の策で他の記録から移動をつなげてみました。
厳しい財源のため何より出費記録は細かくつけてあったので役立ちました。
50年前にどこで何を食べたのかが今になって役立つとは(笑) 
当時の物価は今の1/10くらいでしょうか。
どこの駅前旅館も凄い建物でこれを撮らなかったのが最大の後悔です。
後になって何か役立つかわかりませんね。