案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年11月29日金曜日

竜ヶ崎線の小さな旅

東京通勤圏として発達してきた関東鉄道(元鹿島参宮鉄道)竜ヶ崎線。
何回か訪問した昭和30年代後半頃は蒸機の貨物列車が走りまだ昭和30年代の面影を残していた。
鉄仲間と訪れた昭和38年夏の竜ヶ崎線はあいにくの曇天であったが近場で小型蒸機を存分撮ることができた心休まる小さな旅であった。

竜ヶ崎駅の佇まい  1963.08.17

キハ41302の車内

1960年以降の元国鉄キハ04形3両の投入で
それまでの小型キハ40402は竜ヶ崎車庫の奥に休んでいた.

帰りに乗ったキハ41302+キハ103(トレーラ化)  竜ヶ崎

竜ヶ崎線唯一の中間駅 入地.
駅裏に干された洗濯物、どこまでも一面に拡がる田園など長閑な沿線風景であった.

元国鉄キハが待つ竜ヶ崎線佐貫駅の改札口

竜ヶ崎線の改札口を出たとたん日常に引き戻された常磐線佐貫駅

2013年11月27日水曜日

あれから50年の東京モーターショー2013

サニー、カローラが登場しマイカー時代幕開けとなった東京モーターショー1966から約50年が経った今年の東京モーターショー2013。あの時の人々のクルマへの憧れはすっかり消えたが会場の熱気は50年前と変わらないようだ。

マイカー時代幕開けとなった1966(昭41)年の東京モーターショー1966

東京モーターショー2013
これからの生活の足はEVの時代. ミニEV

EVを飛び越えた究極の燃料電池車が実用化されるのは遠い未来か?

今の日本には似合わない昔憧れたクルマ

会場の熱気

2013年11月23日土曜日

九十九里鉄道 キハ102の最後

九十九里鉄道のあとかた」 で九十九里の車両の解体残骸現場を紹介したことがありますが、そう云えばあの現場でキハ102を採寸したことを思い出しました。ノートをめくってみるとキハ102そしてボギー客車ケハ111の一部が採寸してありました。不思議なのは採寸した窓回りなどの残骸が写真に写ってなく、ボギー客車に至っては何も写っていません。たぶん、採寸できた残骸はバラバラになって草むらに転がっていたのでしょう。
こんな残骸は更に細かくされてトラックへ積まれているところで、あとかたも無くなる寸前のキハ102でした。

解体現場の残骸を採寸したノート S50-5-3 東金にて 九十九里鉄道ケハ111、キハ102
ボンネット含む車両最大寸法(長×幅×高)については鉄道模型趣味No.81にあった
九十九里キハ100形の車両竣功図と諸元表により把握することができた。


悲しいキハ102最後の姿     東金 1975.05.03

側面の社紋とキハ102表示

リヤ面の102表示

ラジエターと散乱しているキハ100形の各部位

解体撤去作業

1/80 9mmナロー 九十九里キハ102タイプ(車体) 南洋物産㈱製

2013年11月22日金曜日

国分寺駅と下河原線

1964年に国分寺駅の中央線ホームから撮った1枚の写真に見慣れない国電が。
拡大してみると行先表示板には「国分寺」と「東京競馬場前」の文字が読める。
これが1973年4月の武蔵野線開業で消えた下河原線(国分寺~北府中~東京競馬場前)
の電車ですね。八王子区のハチロクが貨車入替えで盛んに煙を吐いていた頃のことです。

中央線国分寺駅3番線下りホームより駅南側を見る. 1964年4月

国分寺駅南側に出る跨線橋の下に小さなホームがあり
ここから下河原線が発着していたようだ.1963.09.08

国分寺駅下河原線ホーム.駅の南側高台に西武多摩湖線のりばの表示が見える.
昭和幻灯館展示品

現在の中央線国分寺駅と駅北側から発着している西武国分寺線.2009年12月

西武国分寺線を走っていた新101系2+4連も消えてしまった. 恋ヶ窪 2009年12月

2013年11月20日水曜日

花巻電鉄 クルマ社会到来の直前

1960年代前半の地方の道路は幹線や都市部を除けばどこも未舗装でトラックもバスも滅多にやって来なかった。車も来ない砂利道の端をお客を満載した軽便電車が走って行く。花巻電鉄軌道線の昭和39年頃はそんな風景であった。日本がクルマ社会到来で大きく変わるほんの直前、昭和39年頃の地方私鉄は廃線ラッシュであったが、その一方でまだ元気に走っていた路線もあった時代であった。
あのクルマ社会到来の直前から50年が経った今、どこへ行ってもマイカーが綺麗になった道路や見違えった街並みを走っている。そんなマイカーもEV時代到来となる今年の東京モーターショー2013がまもなく開催される。

滅多に車が来ない砂利道と花巻軌道線の線路. 鉛温泉-山の神 1964.08.02
豊沢川に沿った街道(現:県道12号)でもこの辺りではバスやトラックを見掛けなかった.

そんな道路の端をお客満員でやってきた軽便電車. 鉛温泉-山の神

花巻近郊の西公園停車場へやって来た「滝乃沢」行きのバス.
花巻近郊には既にバス網が進んでいたようだ.

西公園を過ぎると道路は狭くて穴ぼたらけ.こんな道路を軽便とバスが走っていた.
天気が良いと水をまいて少しでも埃を抑えるのは東京郊外でも同じであった.

晴れれば埃が舞い、雨が降れば悲惨な状況に.埃と泥んこに悩まされた時代であった. 1966.03.04

2013年11月17日日曜日

1/80模型 大人と子供

以前、近鉄四日市駅の内部・八王子線(旧三重電気鉄道)「大人と子供」を紹介したことがありますが、
この駅の「大人と子供」対面風景を模型で再現された方からメールを戴きました。
模型は近鉄湯の山線が18mmゲージ、内部・八王子線の軽便が9mmゲージで、縮尺1/80。
更に13mmゲージがあり1/80 9mmナローの存在理由がここにあります。
接続駅がある軽便鉄道の楽しさは、実物も模型も正にこの対比にあり と思います。

四日市駅の大人と子供  1965.8.5
近鉄湯野山線と内部・八王子線(旧三重電気鉄道)の
標準軌1435mmとナロー762mmの電車が対面する場面.

 模型で再現「大人と子供」 9mmGと18mmG  1/80

複線が狭軌13mm、単線が標準軌18mm、右端の小さいのが軽便9mm  全て縮尺1/80   
軽便が楽しくなる羨ましい運転会です。


昨日の講演で使った資料

2013年11月12日火曜日

小諸で見たC56123

国鉄能登線で見たC56123を小諸で見たのは6年前の1966(昭和41)年夏で、中込区所属のC56123号機であった。七尾区に永く所属し能登で活躍したC56123は一時期小海線中込区に所属していたのだろうか。
真夏の白い雲が浮かぶ信州の山並み望む小諸でC56は美しい姿で貨物入替え作業に励んでいた。

 機関車データベースより抜粋 C56123
1942-01-21志布志区→七尾区
1964-04-01七尾線管理所
1968-03-31現在 七尾区
1973-01-22和倉駅付近で踏切事故発生
1973-06-16廃車
1991-05現在 希望の丘公園にて保存
1997-04現在 解体 動輪のみ七尾鉄道発祥地に保存

小諸で見たC56123  1966.08.19

入替え作業に励むC56123   小諸 1966.08.19

小諸城址懐古園から浅間山方面を望む

2013年11月8日金曜日

能登金剛ともう一つの能登線

能登半島の元国鉄七尾線・能登線のその後は名称の経過が複雑で調べていると大混乱。今走っている鉄路はJRが津幡~七尾~和倉温泉間まで、のと鉄道が七尾~和倉温泉~穴水まで、その他は廃線で消えたという事になるのでしょう。

能登半島の鉄道

能登半島の東側にある能登金剛と言えば松本清張の「ゼロの焦点」、その能登金剛に近い「三明」までもう一つの能登線である北陸鉄道能登線(羽咋~三明間25.5Km)が何と昭和47年6月まで走っていた。
現役時代の北陸鉄道能登線を訪問したのはこの能登半島めぐりのずっと昔昭和37年であった。昔は国鉄七尾線の羽咋で北陸鉄道能登線に乗換え三明まで行き、そこから国道をバスで能登金剛の近くまで行く、そんな観光ルートだったのでしょう。

「能登金剛」は約30kmに亘って奇岩、奇勝、断崖が連続する海岸. 1972年9月
この「能登金剛」巌門はかっての北陸鉄道能登線の終点三明から数キロの位置にある.

夏の能登海岸をのんびり走っていた能登線. 1962年夏

 

海岸線を行く能登線 柴垣-滝

キハニ5102 雨宮製作所昭和6年製.  羽咋
能登線には能登にふさわしい個性的な気動車が揃っていた.

小型ボギートレーラ.  コハフ3001

七尾線のC58