案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年2月26日火曜日

頸城鉄道 2軸客車

頸城鉄道の2軸客車について1962(昭37)年と1968(昭43)の状態を比較してみました。


奇麗な状態のニフ1 1962.08.03

まだ元気だった頃の頸城鉄道 新黒井駅構内 
雑草が刈り込まれた真夏の構内にニフ1やハ5、ハ6が並んでいた.

ハ6とハ5.  1962.08.03 新黒井

以下は部分廃線直前の1968(昭43)年夏の光景です。


ホジ3の編成に付いた くたびれたニフ1. 新黒井 1968.08.18

荒れ果てたハ6とハ5 新黒井. 1968.08.18

草むした真夏の新黒井駅構内. 1968(昭43).08.18

2013年2月25日月曜日

頸城鉄道 夏の飯室駅

2010年11月にアップした「晩秋の頸城鉄道 飯室」 は部分廃線後の終点飯室駅でしたが、今回は全線が繋がっていた時代の飯室駅です。

飯室駅に到着したホジ3+ニフ1 1968.08.18

写真の飯室駅はまだ部分廃線前であり、浦川原側へと線路が一直線に延びていた。と云ってもこの1ヵ月半後には部分廃線で線路はこの先で行止まりとなってしまう。
飯室駅前の道路は舗装され浦川原、飯室から直江津へバスで行けるので、豪雪シーズンを除けば浦川原、飯室から新黒井までわざわざ軽便で輸送する必要性は少なくなっていたのでしょう。
部分廃線後の寂れた飯室駅のムードはまだ感じられなかった。

 

ホジ3に牽かれていたニフ1は6年前に較べ塗装が剥げ格段にくたびれていた.新黒井 1968.08.18
よくお供をしていたニフ1の内部には一体何があったのか興味深々.
ちょっとした小荷物程度を運んでいたのでは?

2013年2月23日土曜日

頸城鉄道 コッペル2号機さよなら運転

1966年5月に走った「コッペル2号機さよなら運転」の夢のような光景を撮影された諸河久プロの写真をアップロード了解を戴きましたのでブログに公開します。撮影地は先日のブログにあった下保倉で、遠い昔のコッペル蒸機列車の光景はとても1966年とは思えません。

【moro9さんのコメントより】
懐かしくて泣けてくる撮影地です。 コッペル2号機がさよなら運転したのが1966年5月12日でした。 頸城野は朝から五月晴れに恵まれ、空前絶後と思われる素敵な軽便列車が 蜃気楼のように私の眼前を走ってくれました。 この日のお別れ列車は今流に言うと「フォトラン」形式で走ってくれました。 好撮影地で我々を下車させ、適当なところまで逆走。こちらがオーケーのサインを出すと、 カメラの前を力走するという手立てで、下保倉~浦川原間の起伏にとんだ区間が、そのハイライトになりました。 このときの収穫があまりに大きかったので、その後の普段着の頸城鉄道に行きそびれたことを後悔してます。


夢のようなコッペル蒸機列車  下保倉-浦川原 1966.05.12 撮影: 諸河久氏




私は頸城鉄道の沿線風景は単調だったという記憶しかありませんが、下保倉から浦川原へかけての沿線風景はこんなに素晴らしかった。写真の背後にある野山、わら葺屋根、田畑、起伏に富んだ風景などがコッペル蒸機列車を惹き立てます。 この区間こそは頸城鉄道廃線跡と北越急行が唯一接近した区間で、旧→新の鉄道のあまりの落差に愕然とします。katsu

2013年2月21日木曜日

頸城鉄道 下保倉あたり

1968年夏に貨物の長大編成を高台から撮ったのは下保倉駅の近くで、確かこの辺りの今は北越急行が走っているところ。現在の地図に下保倉駅と昔の浦川原駅の位置を入れてみました。
地図で赤ラインが頸城鉄道、黒ラインが北越急行です。

現在の北越急行の浦川原駅の位置は、頸城鉄道の浦川原より少しずれている.

美しい田舎の風景を行く長大編成の後ろに下保倉駅が小さく見える. 1968.08.18
現在は北越急行の高架がこの右手に連なっていて沿線風景は一変していることでしょう.
この時代の沿線の田舎風景の美しさは、時が立つほど美しさが際立ってくる感じがする.

一面緑に包まれた小さな下保倉駅.飯室側から見る.
ナローゲージのレールがまっすぐに延びた先をカーブするあたりに今は北越急行の浦川原駅が.

下保倉から飯室側へ少し進んだあたりの田んぼを、ニフを従えたホジが行く.
ホジの車内にはけっこう乗客が乗っているようだ.
夏のあまりの暑さに小川がある木立の下で撮った1枚.

 
小さな森ブタDB81 最後の活躍.  飯室-下保倉 1968.08.18
目の前を森ブタがロッドを忙しく振り回して通過して行った.
新黒井行き混合列車もこの1ヵ月半後の部分廃線で見れなくなってしまった.

2013年2月19日火曜日

頸城鉄道 夏の浦川原駅1968年

1962年から6年が過ぎた浦川浦駅は以前と変わらない夏の風景であった。
この年の9月末に飯室~浦川原間の部分廃線を迎え、こんな浦川原駅の風景も消える直前であった。

駅には以前のように貨車の姿が見えなかったが、小さな貨車は貨物長大編成へ出動していたのだった。
部分廃線を迎え貨物輸送も廃止されるというのに、小さな貨車で新黒井まで輸送する荷がまだあったということになる。この夏の貨物長大編成のことは以前「頸城鉄道4 頚城の貨物」で紹介したことがあります。



今もこの場所に残る浦川原駅の駅舎.

待合室の掲示板によると、浦川原から松代(マツダイ)、松之山温泉、十日町などへ向かうバス路線があって、直江津へもバス路線が繋がっていた.1968年ともなれば道路の整備もかなり進んできたと思われる.



ホームでは客車改造の気動車ホジが発車待ちしている浦川原駅. 1968.08.18
軽便としては立派なこんな駅の風景を1968年夏はまだ見る事ができた.

浦川原駅の構内.
こんな長閑な風景も、今ではこの線路跡地に立つ高架の上を「北越急行ほくほく線」が走る.

のどかで素晴らしい軽便風景があった浦川原の昼下がり

以前「頸城鉄道4 頚城の貨物」で紹介したことがある貨物長大編成. 百間町

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2013年2月17日日曜日

頸城鉄道 夏の浦川原駅1962年

頸城鉄道が新黒井から浦川原まで繋がっていた元気な時代の軽便鉄道。
部分廃線する前でまだ貨物輸送があった夏の浦川原駅を1962(昭37)年と1968(昭43)年に分けて取上げてみます。この頃は自動車時代到来で真っ先に消えた軽便貨物輸送の最後の活躍数年間だったのでしょう。

新黒井で国鉄と接続していた時代は米どころ新潟の軽便貨物輸送も活発でホジの乗客も多かった。しかし1968(昭43)年秋の新黒井~百間町間と飯室~浦川原間の部分廃線により、貨物輸送が廃止となり陸の孤島となった頸城鉄道は一気に終焉ムードとなってしまった。


夏の浦川原駅の全景 1962.08.03

線路の脇には床屋や中華ソバ食堂があった.

ホームでは混合列車が発車を待っている.薪を満載した無蓋車が愉快だ.

この日はホジ3が牽く列車と、DC92が牽く列車が活躍していた.

貨物引込線のホーム上ではトラックからちっぽけな貨車へ米俵が積込まれ、新黒井まで輸送して国鉄貨車へ積換えしていた。急速な自動車の普及により、非効率な軽便貨物輸送はあっという間にトラック輸送へ切替わって行った時代で、頸城鉄道も部分廃線により貨物輸送がなくなり、その後1971年5月に全線廃線となった。

駅の一番奥にはホハ4(元2・3等合造車ホロハ2)が休む.
背後に写った民家や床屋が興味深い.

2013年2月16日土曜日

流山電鉄の車両

昭和38年頃の流山電鉄の風景を2011年2月に紹介しましたが、今回は車両編をアップします。
この頃の車両は元南武鉄道のモハ100形(101,102,103,105)が主力の時代であった。

流山駅のモハ101   1963.03.31

お椀型ベンチレータのモハ103   馬橋 1962年3月
美しいボールドウィン台車

モハ105  流山 1962年3月

モハ102  馬橋  1963.03.31


モハ102  流山 1962年3月

西武クハ1215(元武蔵野鉄道サハ)を1963年に譲受したクハ52。 流山 1963.03.31

モハ100形と組んだクハ51(元豊川鉄道クハ60形) 流山 1962年3月

車庫の奥にあった元ガソリンカーのサハ31 1963.03.31

元ガソリンカーのサハ32 1963.03.31

貨車を従えた混合列車.この頃は流山から酒造工場への引込線があった.1963.03.31

2013年2月13日水曜日

松本電鉄浅間線、早朝の温泉行き電車

夜行列車で夜明けの都市に到着すると、うす暗い駅前通りに路面電車が停まっている。
こんな早朝の駅前光景を1960年代には各地で見掛けた。

朝5時前に到着した松本駅は夜行でやってきた登山客で賑わい、登山客が向かう上高地方面とは反対の東側に開けた松本市街を浅間温泉行の電車が走っていた。
温泉行電車の撮影は、こんな登山客を除けば早朝でひと気のない松本駅前からスタートした。

陽が出てからの浅間線の紹介は「松本電気鉄道 浅間線」 にあります。

始発前の浅間線松本駅  1963.7.20
まだ薄暗い国鉄松本駅の片隅に、うす汚れた2両の木造電車が休んでいた.
ひと気のない駅と電車はまるで廃線後のようであった.

早朝のひと気のない松本駅前で登山客を満載したバスだけは賑わっていた.
やがて朝の1番電車が発車しガタゴトと松本駅前に出てきた.

早朝で車や人は少なく、静まりかえった松本の大通りを行く電車.

電車の脇を松本駅へ向かうボンネットバスが連なっている.

学校前の急カーブを曲がり未舗装の併用軌道を行く.

併用軌道から専用軌道区間へ入ると、家並みの間をくねくね曲がって走る.学校前-清水