案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年12月3日火曜日

曇天の竜ヶ崎駅風景

昭和38年夏に訪問した竜ヶ崎線は曇天でまるで冬のような風景だが、真夏の8月17日で間違いはなかった。ちなみにこの日の天候(東京)を調べてみると気温32度、朝から曇りで15時以降が雨で、この日から数日天気が崩れている。
昔ながらの竜ヶ崎駅に似合うのは元国鉄04形や蒸機そして生き残り車がいた1960年代までで、1970年代に入ると、どの地方私鉄でもそうであったように竜ヶ崎線も他社から入線した車両でそれまでの風景が一変してしまったようだ。

蒸機がいた頃の竜ヶ崎駅風景  1963.08.17

常磐線経由でまだまだ貨物輸送があった頃. 貨物営業廃止1971年

満員の気動車と煙吐く4号機

佐貫から竜ヶ崎へ戻って来た貨物列車. 竜ヶ崎線らしい風景

待機線に休むハフ15.昭和6年松井車両製の元片ボギーガソリンカーで
キハニ12だったが戦前に客車化されハフ15となった.
それにしても竜ヶ崎駅のホームがなんと長いことか.

妻面の窓がふさがれ車内両端にシートがある変わった客車ハフ15.

写真で見たエンジンを装備して走っていたガソリンカーの姿はとても楽しい.
片ボギーの台車

映画のセットにも出てきそうな倉庫と古典客車.大正3年天野工場製ハフ2

鹿島参宮鉄道の社章が残された小さな貨車ワ2

キハ41303 竜ヶ崎線仕様でどれも豆粒のような前照灯が装備されていた.

地方の路線と違って東京通勤圏で乗客が増え始めていた時代だったのでしょう.

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