案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年12月14日土曜日

大雄山線 2005年

酒匂川の支流、狩川に沿って大雄山最乗寺へ参拝客を運ぶ大雄山線。終点大雄山駅からは最乗寺へバスが出ている。また大雄山駅から街道の先に足柄峠、矢倉岳の梺にある「夕陽の滝」、南足柄ハイキングコースを控え、丹沢山系と足柄山地に囲まれた足柄平野を18mクラスの3両編成が走っている。

富士山の展望台として有名な足柄山地の矢倉岳に向かって走る大雄山線 
富士フィルム前 2005.09.18

湧水が豊富な足柄平野には富士フィルムや富士ゼロックスなどの大工場があり
沿線の宅地開発が進んでいる大雄山線  富士フィルム前-和田河原

1984年から入線した5000系3両編成  和田河原-塚原

大きなビルが並ぶ終点大雄山は駅ビルではなく昔からある三角屋根の駅舎であった

湘南カラーの木造電車が休んでいた42年前の大雄山駅 1963.02.22

大雄山駅改札口

 
 車両の回送や工事車両のけん引、検査車両の入替え等に使われる黄色のコデ165とその車内

 
金太郎の像がある三角屋根の小さな駅舎を大きなビルが取り囲む

 
駅から3キロの山中にある大雄山最乗寺へ駅前からバスが出ている

0 件のコメント: