案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年10月30日水曜日

小海線 臨時急行「こうみ」

1970年頃から一時期小海線沿線をたびたび訪問していたことがあった。しかし上田丸子電鉄のついでに立寄ったり、八ヶ岳赤岳登山や高原ハイキングで利用したり、沿線をドライブしたりしたりで、小海線をまともに撮る事はなかった。唯一1971年8月14~15日の小海線訪問だけは珍しくC56を目的としてクルマを利用した撮影旅であった。

小海線のC56が牽く客車列車は新宿発の季節臨時「八ヶ岳高原」号だけでなく、お盆休みの8月18日まで上野~小海間に夏の臨時急行「こうみ」があった。上野発急行「こうみ」は列車を小諸で分割して小海線の小海まで上下各一本が走っていた。

朝一に中込駅に待機していたC56125の単機回送を追い掛け小海駅までやって来ると、小海駅ではC56125が9:19発上野行き旅客列車の準備に動きまわっていた。清里の喧騒とは違って静かな小海駅の旅客列車はローカルムードに溢れていた。

上野行き旅客列車の準備で、C56の煙と転車台が右奥に見える.小海 1971.08.14

小諸側に向きを換えたC56125は停車中の客車3両を連結する. 小海

小海9:19発の上野行き臨時急行「こうみ」は千曲川沿いに小諸へ向かう

「こうみ」撮った後は貨物を撮りながら清里へ向う. 松原湖-小海
松原湖が近い

佐久海ノ口

海尻-佐久海ノ口?

佐久海ノ口を出たあたり?

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