案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年10月23日水曜日

鹿島鉄道 廃線直後の鉾田駅

鹿島鉄道のラストラン2007年3月31日の翌朝に石岡駅構内に戻ってこなかった車両は一体どうなったのか、鹿島鉄道の廃線後を訪ねてみました。

廃線から12日が過ぎた桜満開の春爛漫の日、まずは終点鉾田へ。そこには役目を終えたキハ431とキハ601、それにKR-505の3両が留置されていた。鉾田駅に保存する目的がその後いろいろあったようで、この時常陸小川駅に留置(その後搬出)されていた車両を含めて今も無事に保存されているようである。
この日は春の鹿島鉄道の余韻を一日のんびりと楽しむことができた。

桜満開の鉾田駅構内に休むキハ431とキハ601       2007.04.12

とても熊谷のブタ鼻気動車の仲間とは思えない美しいキハ431

役目を終えた鉾田駅

廃止後の鉾田駅に残る気動車のオイル



廃線直後の鉾田駅   2007.04.12

2 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

廃線前後に小まめに行かれたのですね。
私は廃止数日前に訪問したのが最後です。
新潟交通で廃止日当日と翌日を体験して、同じ体験はこれ一回でいいと思っちゃいました。
その分当時のレポートを興味深く拝見しました。

katsu さんのコメント...

chitetsu さん
私は全くご無沙汰してしまった鉾田線だったので、
廃止直前の3月は駆り立てられるように鹿島鉄道沿線を歩きました。
長く茨城に住んでいながらその間に何故か一度も訪問しなかった鹿島鉄道。 
2007年に再開するまで、全く鹿島鉄道に無関心であったせいでしょう。
廃止直前の鹿島鉄道の沿線風景の雰囲気に目が覚めました(笑)
今の時代にこんな非電化私鉄が東京近郊に存在していたとは灯台もと暗しでした。