案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年10月16日水曜日

クラウスがいた石岡機関区

関東鉄道鉾田線(後の鹿島鉄道)の石岡機関区の機関庫脇にクラウスが留置されていた
ことは有名であったが、1966年に訪問した時はクラウス4号機のみが草むらの中にいた。
留置されていたクラウスと古い建屋と周辺の草むらに何とも言えない雰囲気があった。

機関庫脇の草生した側線に休むクラウス4号機.  1966.08.28

昔、機関区には2両のクラウスが在籍していたが3号機は既に1963年に廃車され、
4号機はこの後1971年の廃車まで在籍していた.

数年前までは活躍していたようで美しい状態が保たれていたクラウス4号機.1966.08.28


1966年夏はこんな戦災復旧車両オハフ803、801もいた時代であった. 石岡

石岡を発車した気動車キハ201  1966.08.28

2 件のコメント:

lodgershinmeishrine さんのコメント...

私が石岡機関区を訪ねたのは1965年3月30日でした。
貴写真でクラウスがいる場所にナスミス、その前方にクラウスと有蓋貨車が連結されていました。

katsu さんのコメント...

クラウスと伴にナスミスが並んでいたのがこの僅か1年前1965年の3月でしたか。
ナスミス6号機は1966年4月に廃車、その後解体されたとのことで、
1966年初めまで存在していたとは知りませんでした。
この頃の鉾田線はびわこ型キハ201や旧東横キハが活躍し機関区には古典蒸機気が休むなど、素晴らしき非電化小私鉄の風景はその後一気に消滅してしまいましたね。