案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年10月31日木曜日

小海線 臨時 「八ヶ岳高原号」

清里の民宿に一泊し、翌日は1日一往復だけ走る臨時「八ヶ岳高原号」を往復とも撮れたがこの時は背後の八ヶ岳が見えず「八ヶ岳高原号」は不発に終わった。この前年には上田丸子と長野電鉄の合間に一日掛けて立寄って上りだけ撮れたがこれも煙吐かずイマイチであった。今思えばお立ち台などには目もくれず視点を変えて小海駅でC56旅客列車を小さく入れた駅風景を気の済むまで撮るべきであった。
この頃の小海線C56については「津島軽便堂写真館」さんで地図とダイヤ入りで詳細に紹介されていますのでご覧ください。

下りは朝霧の中にかすむ「八ヶ岳高原号」 清里-野辺山 1971.08.15

上りの「八ヶ岳高原号」  1971.08.15

小海線お立ち台の賑わい

前年に撮った上り「八ヶ岳高原号」    野辺山-清里 1970.08.16   

2013年10月30日水曜日

小海線 臨時急行「こうみ」

1970年頃から一時期小海線沿線をたびたび訪問していたことがあった。しかし上田丸子電鉄のついでに立寄ったり、八ヶ岳赤岳登山や高原ハイキングで利用したり、沿線をドライブしたりしたりで、小海線をまともに撮る事はなかった。唯一1971年8月14~15日の小海線訪問だけは珍しくC56を目的としてクルマを利用した撮影旅であった。

小海線のC56が牽く客車列車は新宿発の季節臨時「八ヶ岳高原」号だけでなく、お盆休みの8月18日まで上野~小海間に夏の臨時急行「こうみ」があった。上野発急行「こうみ」は列車を小諸で分割して小海線の小海まで上下各一本が走っていた。

朝一に中込駅に待機していたC56125の単機回送を追い掛け小海駅までやって来ると、小海駅ではC56125が9:19発上野行き旅客列車の準備に動きまわっていた。清里の喧騒とは違って静かな小海駅の旅客列車はローカルムードに溢れていた。

上野行き旅客列車の準備で、C56の煙と転車台が右奥に見える.小海 1971.08.14

小諸側に向きを換えたC56125は停車中の客車3両を連結する. 小海

小海9:19発の上野行き臨時急行「こうみ」は千曲川沿いに小諸へ向かう

「こうみ」撮った後は貨物を撮りながら清里へ向う. 松原湖-小海
松原湖が近い

佐久海ノ口

海尻-佐久海ノ口?

佐久海ノ口を出たあたり?

2013年10月28日月曜日

小海線 夏の思い出

小海線と言えばC56、そして夏の賑わい。C56は高原の人気物であった。

佐久海ノ口  1971.08.14

清里駅のC56

清里の賑わいとC56   1971.08.15

清里駅のC56

道路に人と車が溢れた撮影ポイント. 清里 - 野辺山  1971.08.14

野辺山  1971.08.15

2013年10月26日土曜日

鹿島鉄道 気になったキハ714

梅が咲き始める頃 八木薪を行くキハ714. 浜 - 八木薪 2007.03.28

銀色の屋根を光らせて通り過ぎたキハ714.    浜 - 八木薪 2007.03.28

霞ヶ浦湖畔を行くキハ714.     2007.03.28

1976年に夕張鉄道の廃止により転入してきたキハ714は昭和28年新潟鐵工所製で、正面2枚窓湘南型と側面のバス窓は昭和30年頃前後の気動車によく見られたスタイルをしていた。
加越能から転入してきた全長短いキハ430形は昭和32年東急車両製でこれとよく似ていたが、正面の顔は714形の方がずっと美形であった。最後の頃のキハ714は側面の大きな週刊誌広告がちょっと残念であったが。

常磐線のホームから鹿島鉄道のりばを見るといつもキハ714が目に入った. 2007.03.08

石岡構内でいつもここに休んでいたキハ714. 2007.03.08
側面の週刊誌広告『週刊の怪物Gallop』とは産経新聞社の競馬週刊誌のことであった.


最終日に乗ったキハ714

キハ714 最終日の走り. 榎本 - 玉造町  2007.03.31

最終日の夜20:30には石岡にいたキハ714.    2007.03.31

2013年10月24日木曜日

鹿島鉄道 廃線直後の常陸小川駅

鉾田駅の帰りに訪問したのが常陸小川駅で、ここにも石岡へ戻ってこなかった車両が3両留置されていた。石岡には戻らなかったこれらの人気車両は廃線後の引き取り先があったのでしょう。

桜咲く頃、心地良い春の陽を浴びて列車がやって来れば最高の撮影日和であるが、もう列車がやって来ることはない。踏切にはロープが貼られ鉄路は死んでいた。  常陸小川 2007.04.12

静まり返った常陸小川駅に今にも列車がやってき来そうだ。

ひと月前のすばらしき常陸小川駅の夕方.  2007.03.08


小川駅の本線上にシートを被って元夕張キハ714と金太郎赤キハ432そしてKRがいた.2007.04.12

引込線や貨物ホームがあり絵になる常陸小川駅に留置された車両3両.


       

        

        
半月前の廃線直前は多くの人で賑わっていたのが一変し
時計が止ったようで人気のない常陸小川駅. 2007.04.12

2013年10月23日水曜日

鹿島鉄道 廃線直後の鉾田駅

鹿島鉄道のラストラン2007年3月31日の翌朝に石岡駅構内に戻ってこなかった車両は一体どうなったのか、鹿島鉄道の廃線後を訪ねてみました。

廃線から12日が過ぎた桜満開の春爛漫の日、まずは終点鉾田へ。そこには役目を終えたキハ431とキハ601、それにKR-505の3両が留置されていた。鉾田駅に保存する目的がその後いろいろあったようで、この時常陸小川駅に留置(その後搬出)されていた車両を含めて今も無事に保存されているようである。
この日は春の鹿島鉄道の余韻を一日のんびりと楽しむことができた。

桜満開の鉾田駅構内に休むキハ431とキハ601       2007.04.12

とても熊谷のブタ鼻気動車の仲間とは思えない美しいキハ431

役目を終えた鉾田駅

廃止後の鉾田駅に残る気動車のオイル



廃線直後の鉾田駅   2007.04.12