案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年9月5日木曜日

遠鉄奥山線 最後の日-2

奥山線の最終日の日中は鉄ファンや地元住民のカメラの放列などはなく落着いた1日であった。この頃はまだ鉄ファンが大挙してやってくる時代ではなかったのでしょう。
地方私鉄の廃線最終日は鉄道会社や地域によっては派手なイベントもあったが、奥山線の日中は乗客で賑わったが派手なイベントはなかった。
永く親しんできた奥山線が消えるとあって、たくさんの沿線住民の皆さんが乗り納めにやって来た。通勤通学で奥山線を利用してきた人達の足は翌日からバスとなるが不便はなかったのだろうか。
この日の最終列車を見送るまで長い時間があったが、全線を行ったり来たりして各駅乗車券(使用済)や行先表示板(許可されたモノ)を収集したりで忙しい一日であった。会社が奥山線廃止記念にモノを販売するなんていう事はなかった。


親子連れなど沿線住民の皆さんが奥山線を惜しんで乗り納めにやってきた.曳馬野 1964.10.31
大人から子供まで皆が式典に参加というような雰囲気があった.

曳馬野駅の電化区間から非電化区間へバトンタッチするのも今日で終わり.

曳馬野駅の改札口

曳馬野駅の賑わい

超満員の乗客を乗せて遠鉄浜松へ向かう電化区間の列車.

無料の記念券

秋の田園風景をのんびりと走る.

三方原台地から祝田の田園地帯へ下る最も変化に富んだ区間.都田口-谷

気賀口に休む客車.

2 件のコメント:

chitetsu さんのコメント...

奥山線最後の一日、興味深い拝見中です。
綺麗に整備された車両と美しい沿線風景の中にもモータリゼーションも槌音が見え隠れしていますね。
今更叶いませんが、最後の姿だけでも見て見たかった鉄道です。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
奥山線は地味な鉄道でしたね。せめて動力車だけでもツートンカラーに塗って欲しかった。その代わり電化区間と非電化区間の二色が楽しめた珍しい軽便でした。
今も鮮明に記憶に残る奥山線の情景がもう50年前の事なるなんて信じられません。日本の社会の変わり目1964年に消滅した奥山線は、その後を生き伸びた路線のような終焉の姿はなく綺麗な姿のままで終わった軽便でした。