案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年9月29日日曜日

福井鉄道 朝の市役所前

2010年10月にアップした越前の秋「昭和の電車」で福井鉄道福武線のオリジナル高床車を紹介 (画像3点) したことがありますが、それを元に「朝の市役所前」にリニューアルしてみました。

JR福井駅前で、えちぜん鉄道のりばとは反対側に福井鉄道福武線のりばがあり、1960年生まれの昭和の電車が今も活躍している。地方私鉄は今やどこも都落ち電車ばかりで魅力を失っているが、2008年に訪問した時はオリジナル200形201、202と元名古屋市交通局610形の高床車3編成がラッシュ時に活躍していた。

以前の福武線は派手な広告塗装をしていたようだが、お目当ての200形201はまともな塗装に戻され美しい電車になっていた。福武線では低床(路面電車)化が進められて来たが、ラッシュ時には低床車の合間に高床車200形や610形が通勤通学客を満載して併用軌道を市内中心部までやって来る光景は実に楽しいものである。

撮影 2008.10.14
車の洪水の中を市役所前に向かっている田原町行き電車

急行福井駅前行き
分岐点「市役所前」に到着した電車は進行方向を転換し右に分岐して福井駅前に出る.田原町行きはそのまま直進する.初めてこの光景を見た時は、路面電車だけならどうという事もないが高床車がやって来るというのでどんな光景が見られるのか大変興奮したものである。やがてやって来た昭和の高床式電車が行き来する朝の光景は期待以上であった。

朝の市内に登場した急行田原町行き高床車200形201(昔の標準塗装) 市役所前

高床車は市役所前から田原町へ向かう. 市役所前

普通田原町行き610形(元名古屋市交通局) 市役所前

次にやって来た高床車は200形202

朝の通勤通学時間帯 普通田原町行き200形202 市役所前

田原町方面

高床車の大きな乗降ステップ. 市役所前

2013年9月25日水曜日

えちぜん鉄道の秋

毎年この季節になるとえちぜん鉄道の秋が思い出される。
終点勝山から比島、発坂、保田へと歩き
青い空に浮かぶ白雲、大日山とその向こうの白山連峰、越前名物蕎麦の畑、九頭竜川の流れを見て
越前のすばらしい秋を満喫したのは2008年のことであった。
えちぜん鉄道沿線の自然は京福電鉄の時代から何も変わっていないのだろう。

勝山から保田へ向かう  2008.10.13



2013年9月22日日曜日

八高線 金子坂

前回は八高線の金子坂を下ったところでしたが、今回は金子坂です。撮影 全て1967.02.03


金子坂を上るD51牽引の貨物列車    金子-東飯能

毎年2月3日は八高線に高尾臨(節分列車)の旅客列車が上下各2本が走っていたので、この年は朝から八高線沿線を歩いた。まずは高麗川へ行き朝8時20分着の上り列車(高麗川駅)を撮り、高麗川~東飯能間の山越えを貨物列車を撮りながら東飯能へと歩き、更に金子方面に歩いて金子坂で下り旅客列車を狙った。この頃の八高線はSL撮影本格派ファンにとっては人気がなかったようで、高尾臨が走る日でさえ金子坂で出会った同好者は確か数人くらいであった。

午後の下りで高尾臨が引き返して来るまで、D51の貨物を寂しい金子坂の自然のなかで楽しんだ。金子坂の今は木立ちが成長しうっそうとした森の中を走る感じで、昔の俯瞰風景は一変してしまったようだ。

終日よく晴れ渡った天気で飯能方面をきれいに見ることができた.

D51重連の貨物列車

金子坂を下ってきたD51が牽く下り高尾臨 節分列車

のんびりと金子坂を行くキハ17形

2013年9月21日土曜日

八高線 金子坂を下ったところ

1967年頃よく通った八高線は金子から東飯能に向かって金子坂を下ると左にカーブし広い茶畑に出て西武池袋線と立体交差する。当時、西武池袋線のことは全く眼中になかったが昨年末に引退する西武101系を撮りに行った所はこの立体交差の近くであったことに最近気が付いた。現在の西武池袋線を元加治の先へ向かったところの風景はあの時の八高線の荒涼とした風景とどうしても結びつかない。

八高線  金子-東飯能 1967.02.03
金子坂を下ってきた石灰石運搬列車が入間川鉄橋、西武池袋線を越えて東飯能へ向かう.

西武池袋線と立体交差するところ. 金子-東飯能 1967.02.13

西武池袋線が八高線と立体交差する手前飯能側の風景.元加治-飯能 1967.02.13

立体交差過ぎた所沢側 元加治-飯能

昨年末の最後の101系. 西武池袋線 元加治-飯能  2012.11.07
この先で八高線と立体交差する.

西武池袋線が八高線と立体交差する所沢側の風景. 2012.11.07 

2013年9月16日月曜日

沼尻鉄道の客車(細部)

いつもの「オリンパスペンで撮った軽便」で、沼尻の客車もデッキ回りやアーチバー台車などを集めてみました。前回の車両写真も大半はオリンパスペンで撮ったものです。
撮影 1964.01.02~03

ボハフ1の風格あるデッキ回りと車体
同じ雨宮鉄工所製でもボハ 6・7とは外観上の類似点が殆どない.

ボハ6 の素朴な車体と極小アーチバー台車の組合せが素晴らしい.

             
            車内暖房の火鉢       雨宮鉄工所製らしいデッキ

ボハフ1、 2、シボフ3、ボハフ11の
大柄で少し間の抜けたアーチバー台車[軸距1016 車輪径559φ] がボハフの特徴.

ボハ 6の引き締まった極小アーチバー台車 [軸距813 車輪径457φ]

ボサハ14のアーチバー台車 [軸距1016 車輪径500φ]

ボハフ11

2013年9月13日金曜日

沼尻鉄道の客車

ナロー模型の題材として超人気の沼尻鉄道で、車両写真は多くの書物で紹介され出尽くした感があります。
もう何年も原稿待機していた奥山線丸妻客車に引き続き沼尻の車両写真もアップしてみます。今さら解説も不要な車両ばかりです。
撮影 1964.01.02~03

ボハ6  
軸距813車輪径457φの極小アーチバーは模型化で市販品台車がピタリ合う.
極小アーチバーのせいで地を這うような軽便らしさを最も感じさせてくれた.

ボハ6と同形のボハ7

ボハフ1  

ボハフ1と同形のボハフ2

ボサハ14   

 いかにも自社工場製らしいボハフ11 

定員20名のサハ8 車輪径510φ

2013年9月11日水曜日

遠鉄奥山線の丸妻客車

奥山線の魅力を引き立ててくれた一つに奥山線用に製造された丸妻客車があり、電車や気動車に牽かれて走る丸妻客車の光景に素晴らしいものがあった。
丸妻客車は形式が幾つかに別れるが、開業時からのサハ1108と1109とそれ以降の製造では基本寸法は同一で外観も殆ど見分けがつかない。
サハ1101型 1101 1102   雨宮製作所 大正11年製 奥山延長時の新造車
サハ1108型 1108 1109 大日本軌道鉄工部 大正3年製 開業時の客車4両のうちの2両
サハ1110型 1110    日本車両 大正12年製 
サハ1111型 1112    雨宮製作所 大正11年製 
  ハ1154型  1154    名古屋電車製作所 大正4年製

この番号順に丸妻客車の外観を並べてみました。

サハ1112+1102+1101  1963.04.04

サハ1102と1101の連結部 柴田式簡易自動連結器(車両竣功図より)
下の狭いせんろの枕木間隔がよく分かる.

サハ1102の車内

サハ1102
ハ1154
同サイズのアーチバー台車でも車輪のフランジ厚みでイメージが大きく変わる.
サハ1110
丸妻客車のアーチバー台車はどれも軸距1016、車輪径530φに統一されている.

サハ1101  1964.03.23

 サハ1102

サハ1108

サハ1109

サハ1110

サハ1112

ハ1154


電車に牽かれて走る丸妻客車サハの風景.    1964.10.31