案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年8月7日水曜日

金石線 雨上がりの金石街道

金石街道を走る金石線風景を別の写真で再度まとめてみました。

長田町から金石まで一直線の延びる金石街道の脇を走る金石線。
遠くに加賀の山並みを見てどんよりと曇った雨上がりを走る風景は至って平凡で、これが港に向かう金石線らしさなのかも知れない。時々やってくる貨物列車の牽引車が電車であったり電動貨車であったり凸型電機であったりで、珍奇な車両達が我々を楽しませてくれた。

中橋を発車した電車は長田町から金石街道を大野港へ向かう. 1964.12.31

中橋~金石で唯一の交換駅畝田(うねだ).ダッジの車がいたのはこの駅であった.

中橋にいたEB301が金石まで貨車を引き取りに向かう.   寺中

EB301が牽く貨物列車は長田町で道路から家並みの間に入る.

寺中を出ると一直線の線路の先に金石がある.

金石で入替作業をしていた貨物用のモハ1301

金石での入替作業を終えて中橋へ向かう貨物列車.
早朝でもないのに何と車が少ない時代であったことか.

6 件のコメント:

伊豆之国 さんのコメント...

「金石線」の名は、鉄道P誌を見て知りましたが、最初は「きんせき線」と読んで「金沢と石川」の意味だろうと思っていました。金石線がなくなってから後になって、「金石」は「かないわ」と読み、沿線に「金石」という駅があったこと、この「金石」が金沢の外港として栄えた港町であったことを知ったのでした。
道路と境目のない「半専用軌道」とでも言うような線路を図体の大きな電車が走り抜ける風景、今も残っているのは、せいぜい熊本電鉄ぐらいでしょうか。

chitetsu さんのコメント...

実に平凡な風景にヨタヨタ走る道路脇の軌道の取り合わせはすこぶる非凡な光景ですね。
車が殆ど走って居ないのも今から見ると不思議ですね。
古い電車が貨物列車を牽引して道路脇を走る写真には痺れました。

katsu さんのコメント...

伊豆之国さん
北陸鉄道には金名線(廃線)もあったりで確かに紛らわしいですね。
私は石川総線なんてどの路線なのか調べるまでよく分かりませんでした。
北陸鉄道では加南線に河南駅があって今でも漢字をよく間違えてしまいます。
金石線のような道路端の軌道は軽便とか路面電車が多く鉄道線は少なかったようで、熊本電鉄の路面区間は貴重ですね。

katsu さんのコメント...

chitetsuさん
平凡な風景と道路脇軌道の取り合わせが非凡な光景とはなるほど、金石線の魅力はこれですね。
昭和39年頃の金沢郊外の金石街道は車社会到来直前の静けさであったと思います。
車もいない街道を貨物列車が走る光景はほんとうにのどかでした。

Cedar さんのコメント...

私が間に合った線区で一番近いムードは旭川電気軌道でしょうか。でもこちらの小ぢんまりまりしたムードは違った魅力を感じます。港町に向かっていくのも素敵です。

katsu さんのコメント...

cedarさん
そうそう旭川電気軌道がありましたね。
私は行った事ありませんが街中を貨車を牽いて走る光景は金石線と同様ですね。
大野港からやってきた貨物列車には木材を積んでいるのもありました。
港や沿線工場から様々な貨物を運んできて国鉄へつなぐ、まだまだトラック輸送になる前の時代だったんですね。