案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年8月15日木曜日

都電 日比谷通り1967年

1966年秋の東京モーターショウ(マイカー時代の幕開け) から1年後の都内の風景を眺めてみました。
日比谷通りは最も綺麗な道路で大衆車には余り縁がなかったこの一帯は車も少なく道路が広く見えます。
この僅か3年前まで見られたタクシー、ハイヤー、三輪トラックなどのレトロな車もすっかり過去のものに。

日比谷通りで帝国劇場の前から馬場先門方面を見る.1967.12.03
日比谷通りの並木
帝国劇場の建物は今も当時のまま.2013年夏

重厚な旧建築が並ぶ日比谷通り.右手が東京会館
1971年の建替えで姿を変えた東京会館


馬場先門電停と明治生命館
今も当時の姿を残す明治生命館

日比谷交差点

4 件のコメント:

lodgershinmeishrine さんのコメント...

路面電車が車に変わり、行き交う人が変わっても、この並木達は同じ場所で大きく、太くなりながらずっと変遷を見続けて来たはずです。出来ることならば、話を聞いてみたいですね。

Cedar さんのコメント...

日比谷も日活ビルや三信ビルなど、名建築が消えてしまいました。
いつになったら東京の街は落ち着くのですかね?

katsu さんのコメント...

lodgershinmeishrineさん
この頃、東京オリンピック開催後に景気が落ち込んだことを覚えています。それがすぐ立ち直り高度成長の絶調期へと突入。
今思えばすごい時代だったのですね。当時の私には全くその感覚がありませんでした。
日比谷通りは当時からそれほど変わりはありませんが、大きく変わったのは緑豊かに育った並木ですね。
今の日本はあの並木と同じくらい成長してきたのでしょう。

katsu さんのコメント...

Cedarさん
お堀端の日比谷通りの名建築は意外に昔と変わらずでした。
あのホコリだらけだった地方私鉄の沿線風景も今では全国津々浦々まで綺麗になったことでしょう。
東京の街もとどまることなく新陳代謝して更に変貌していく事でしょう。
たった20年前と較べても東京は随分綺麗になったものです。