案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年7月6日土曜日

山岳路面電車3 神橋から田母沢へ 



国鉄の駅前から直ぐにこう配につぐ勾配で、終点の馬返まで実に305mを登っている。線路の最急こう配は60‰、50‰前後の勾配が随所にあって、全体が勾配から成り立っていることがわかる。それは2000m級の山々の山腹に置かれた山の町の電車といえる。標高838mの馬返終点は、我が国の路面電車としては最高点であるはずだ。(鉄道ピクトリアル私鉄車両めぐり第4分冊より)

特記なき撮影日は1963.07.14  昔の写真は全て青蛙さん撮影
下河原停留所(交換可能) 1968年2月

「西参道通り」と表示された通りを行く.

花巻電鉄軌道線のような雰囲気漂う停留所.商店の看板に「電車のりば」の文字が見える.
田母沢の手前の西参道前と推定される.

田母沢御用邸記念公園 日光真光教会の前を日光駅へ向かう

坂を登ったところに田母沢停留所(交換可能)が. 右手が御用邸記念公園

田母沢停留所があったところの今の風景.  2013年6月

停留所の先で田母沢川を渡る橋梁の遺構.

2 件のコメント:

Cedar さんのコメント...

西参道付近の風景~まさにCedsarが林間学校で泊まった旅館はこのあたりでした。お写真の撮影の2年前くらいですね。
路地から道路に出ると直ぐ軌道があって、貨物列車が地響きとともに通過していくのをぼんやり見ていると、先生が来たのですが、貨物列車を見て古河の精錬所の話などしてくれました。

katsu さんのコメント...

Cedar さん
上から二番目の写真によると西参道付近で左に曲がるところに旅館が多くあったようで「まるひで食堂」は今もここにありました。背後に木立ちがうっそうとしています。
その下の「電車のりば」は、「まるひで食堂」の看板から西参道前と推定しましたが背後が上の写真とあまりにも違うので駅名に自信がなくなって来ました。
Cedarさんが泊まられたのは上の写真の立派な旅館街ではなかったかと思います。ひなびた花巻電鉄風の「電車のりば」はもっと先なのかも知れません。