案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年7月18日木曜日

草軽電鉄の現役時代2

 写真は全て法大鉄研OB会のM先輩が撮影

上州三原駅  1961年

上州三原駅構内に新設された車庫兼工場.

上州三原の車庫兼工場
転がっているプレーン車輪はボギー貨車(径610mm)のものでしょう.
草軽のボギー貨車は軽便としては最大クラスの巨大アーチバーを履いていた.

無蓋車とホハ30を牽く草軽の代表的な編成. 嬬恋?

この線路配置から国境平駅か?
全ての駅の構内図と照合すると国境平駅から二度上方面を見た線路配置と一致する.


鶴溜

新軽井沢行き. 鶴溜  1960.3.30

2 件のコメント:

鉄道青年 さんのコメント...

katsu様
たいへん貴重な草軽電鉄の写真、飽きずに見せて頂いております。
嬬恋の写真はどういうわけかあまり残っていません。特に、駅構内を軽井沢方に向かって撮影した写真は初めて見ました。道路との位置関係もよくわかりました。
国境平の写真は、一体どんなシュチュエーションなのか、全然わかりませんが、なんとなく草軽ならではののどかな雰囲気が伝わってきます。
カーブを走る客車内の写真も素敵ですね。本当に音が聞こえてきそうです。
草津前口の貨車の写真も、よくぞ撮っておいてくれました、という写真です。
シートをかける前の積込みの様子がよくわかります。
また、手前に写っている巨大な炉のようなものは一体なんなのでしょうね。気になります。

拙ブログにもコメントを頂き、たいへん光栄でございます。
草軽に限ったことではないのですが、katsu様の写真をはじめ、昔の写真を見ていると、日本に生まれて本当に良かった、なんて気がしてきます。

katsu さんのコメント...

鉄道青年さん
田中一水さんの名作「草津みそら高原にて」から貴ブログ 「火山山麓のレモンイエロー: 草軽電鉄の記憶」 を読ませて戴き、鉄道青年さんの子供の頃から今に至る草軽への想いが伝わってきました。
そして以前「九十九里鉄道のあとかた」でメールを頂戴した鉄道青年さんの九十九里鉄道廃車体の衝撃を思い出しました。私もまた見る事もなく消えてしまった草軽と九十九里は憧れる格別の軽便です。
今回の草軽電鉄の写真は私が撮ったものではなく、これを撮った時の状況など不明でしたが撮影されたOB先輩によく聞いておきます。
今年のTMS 5月号に発表されたOナローモジュール:草軽電鉄 東雲駅。素晴らしい作品ですねいつか拝見出来る日を楽しみにしています。