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高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年7月16日火曜日

草軽電鉄の現役時代1

先日の大学鉄研OB会のM先輩との草軽模型談議で拝借してきたのが草軽電鉄現役時代の写真です。
私にとって手が出なかった草軽電鉄は保存車両デキや車両竣功図、書籍を眺めるのが精一杯でした。M先輩は全線営業していた1958年と、吾妻川橋梁流出により上州三原で分断後の1960年と1961年に訪問し撮影したようです。

    写真は全て法大鉄研OB会のM先輩が撮影

上州三原駅. 1961年
この先の吾妻川手前で線路は行止まりとなっている.
1959(昭和34)年の台風により吾妻川橋梁流出のためこの駅で分断された.新軽井沢~嬬恋間が先に廃線となった後、残された上州三原~草津温泉間は写真の翌年春(1962年2月)に廃線となった.


主力の客車ホハ30形  上州三原
廃線後、駿遠線へ払い下げられて改装されたのをよく見掛けた.

ホハ30形の車風景 1958年
草軽に多かった片側クロスシート.顔を近づけて会話ができるのが良いが、狭い車内をロングシートの客の膝を避けながら歩くのは大変であったろう.車体の内幅は1950mm.

草津温泉の2駅手前の草津前口駅で硫黄の積込みをしている. 1958年
ここから新軽井沢まで運び国鉄貨車に積み替えていた.

デキの特殊パンタは調整が多かったのだろうか.上州三原 1961年

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