案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年3月31日日曜日

沼尻鉄道 スキー客満載の列車

1964年正月の沼尻鉄道はまだ大勢のスキー客を運んでいた。この頃はスキー場直行バスは走っていなかったのか早朝の列車はスキー客満杯でオープンデッキまで溢れていた。

沼尻スキー場は終点沼尻駅から離れたところにあり、1968年10月に沼尻鉄道が消えてから沼尻スキー場に行くには磐越西線猪苗代から直行するバスで行くのが便利であったが直ぐにマイカーでスキー場まで行く時代になってしまった。
この1964年正月の沼尻鉄道のスキー客満載の列車から6年後には私もマイカーで行ける時代となり、あっという間のバス輸送やマイカー時代の到来に、それまで持ちこたえてきた沼尻鉄道も一気に飲み込まれてしまったのでしょう。

川桁駅の待合室はスキー客で満杯.1964.01.03

スキー客を待つボキー客車4両編成.川桁

その前日の一番列車.川桁 1964.01.02

磐梯山をバックにスキー客満載の一番列車が沼尻へ向かう. 川桁-白津
 4両編成だが客車の収容能力はえらく小さい.

途中の駅からも地元のスキー客が乗り込む.  白木城

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