案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年2月2日土曜日

消えゆく下北沢駅風景

小田急下北沢駅の地下化は、新聞によれば3月22日の終電後に切り替え工事をし、23日始発から地下線の運行を開始するとあります。いよいよ小田急の下北沢地上駅が停止し、その後取り壊される地上駅と街並で下北沢風景も一変してしまう事でしょう。


小田急下北沢駅  2013年2月
駅周辺には高層ビルがなく、街全体に建物が低いのが魅力であったが・・・。

商店街や街行く人々の目線にある駅もまもなく過去の風景に.

2 件のコメント:

Tosi さんのコメント...

区画街路10号線と補助54号線という道路を中心とする自動車優先の時代錯誤的な再開発計画がここでも問題になっています。保坂氏は「人間優先」「住民参加」「災害対策」を強調していますが、下北沢の「文化を醸成してきた自動車が入りにくい街の構造(日本建築学会都市計画委員会)」を維持継承し、「災害時の緊急車両」を例外として原則的に「車の進入を規制した人間優先の街づくり」が実現されるかどうかは予断をゆるしません。地域住民や商業者をはじめとして、下北沢を拠点に活動する芸術家、来街者等を含む、すべての利害関係者、ステークホルダーが(見かけだけでなく実質的に)決定過程に参加できることが重要です。
下北沢駅そのものについていえば、レヴェル差が30メートルはあるとおもわれる小田急急行駅と井の頭線駅のあいだがエスカレーターとエレベーターで結ばれるわけですが、複々線化と(2km強の区間で九つの)踏み切りの「除却」のために、これほど大規模で非エコな鉄道地下化(脱地上化)事業がここでもまた実現してしまったことを残念に思います。

katsu さんのコメント...

Tosiさん
九つの踏切のための地下化は工事沿線住民向けのパンフレットにある言い回しで、
地下化の主目的は複々線化による輸送力増強(工事沿線住民には関係ない)にあると思います。
私もTosiさんのご意見に全く異論ありません。
ただ、下北沢駅工事の主張・論争は別のところで盛んにやられているので、そちらでやるとして
ここでは記録に残しておくための情報程度までにしたいと思います。