案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2013年1月25日金曜日

オリンパスペンで撮った玉電砧線3

玉電砧線の名所と云えば吉沢の急カーブでしょう。ギィギィ音をたて90度方向転換するのが面白くて何回も撮ったはずだが出てきたネガはこの1枚のみ。ラッシュ時には連結運転があたそうで、連結運転でこのカーブを曲がる光景はさぞや見ごたえがあったことでしょう。

吉沢の急カーブ  1963年4月
廃線跡めぐり  吉沢の急カーブがあったところ. 2007.04.15

この頃、二子玉川園駅の砧線側線にこんな貨車が留置されていて昔のジャリ電時代の名残でしょうか。二子玉川下流の砂利採取が禁止されたのが昭和9年だそうで、貨車はその後保線などに使われていたのかも知れません。こんな貨車を牽く砂利軌道線を模型の世界で楽しんでいました。

 二子玉川園 1963年7月
時代物のカプラー

二子玉川園駅の日常風景. 1963年4月
ホームの看板には「アンリ・ファルマンからジェット機まで航空博 3月16日~5月31日二子玉川園」 と.

二子玉川駅  2010年12月

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