案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年3月30日金曜日

土佐電の今

先日コメントを戴いたTYKさんから最近の土佐電600型の写真も送付戴きました。
写真の608は1959年製で車齢50年を超え、30両もの600型が今なお活躍しているのは凄いことです。様々な改良を加え進化して行く路面電車は古さを感じさせず地元の愛着もひとしおでしょう。

最近の土電608です。  2011年8月 高知城前
土佐電600も更新、冷房化ですっかり形が変わっています。
写真の608も正面間窓上8割がゴム止め、下が可動式で印象が変わっています。(TYKさん) 

43年前の土電608     1969.5.5

2012年3月28日水曜日

長野電鉄 気になる須坂駅

3月31日に迫った屋代線の廃線、そして2000系D編成の引退。
この週末に向かって今日も須坂駅は大変な騒ぎでしょう。
もっと真面目に撮っておけば良かったあの頃の長野電鉄。
当時は見向きもしなかった最新鋭OSカーでさえとっくの昔に過去の車両に。

42年前の長野電鉄  1970.8.17

屋代線のクハ1052  元定山渓鉄道ED5102  須坂駅
今の須坂駅 2012.3.21


2000系B編成 須坂 1970.8.17

1000系3連   1970.8.17


0系OSカー  クハ52+モハ2

今も放置中の新OSカーは物置代わりとは・・・

2012年3月25日日曜日

北陸鉄道加南線 廃線跡めぐり

北陸鉄道加南線が1971(昭46)年に全廃して早や41年になります。
今月の9日と16日に開催された山代温泉ホテルききょう様主催の北陸鉄道加南線廃線跡見学ツアー 
で案内役の山本様から廃線跡めぐりで撮られた主な駅の現状写真と解説を送って戴きました。

一昨年12月小ブログで取上げた北陸鉄道加南線 の現役時代風景と対比して撮られた写真を見ると、47年前のあの風景は変わったものの、昔のままで残る建物など驚くほど面影残す箇所が各所にあるようです。
加南線現役時代を偲んでこの位置に立ってみると、どんな想いになるのか行ってみたいものです。

モノクロ写真 1964年12月   全ての画像はクリックで拡大します   カラー写真と解説 山本様 2012年3月

片山津線 動橋
跡地は住宅になり、JRとの用地境に高いブロック塀ができています。


片山津線 片山津
駅跡はバスターミナルになっていましたが、平成20年に路線が撤退して駐車場となっています。
路線バスは2年後に復活しましたがターミナルには入らず、道路上にバス停が設置されました。


片山津線 片山津
業務を廃止した日通の荷扱い所の建物が残っています。線路跡にはビルが建っています。


山代線 新動橋
駅跡地は道路になっています。
背後のJR動橋駅舎と右手の石積みの倉庫は当時のままです。


山代線 河南~山代間
線路跡は道路になっていますが、並行する桜並木は当時の面影を残しています。


山代線 河南
数年前までは山中線と山代線の分岐部分がそのまま道路になっていましたが、
高規格道路ができて分断され、面影が薄れてしまいました。


山代線 山代
駅跡はタクシーの営業所になっています。


山中線 山中
駅跡はバスターミナルになっています。背後の山並みは変わっていません。

2012年3月23日金曜日

屋代線 保存車両

小布施駅に保存されていた車両4両が信濃川田駅にやってきた。
美しく化粧直ししてありこれから廃線イベントに使われるのでしょうか。


デハニ201(モハニ131) 信濃川田 2012.3.21 

デハニ201(モハニ131)   ED502(ED5002)



 
現役時代の旧型車 モハ611  1970年8月
モハニ131と同形のモハニ531   クリックで拡大

2012年3月22日木曜日

屋代線 名勝路線の見納め

廃線まで残すところ10日余り、天気の良い平日を狙ってやっと屋代線へ行ってきました。
名残りを惜しむの地元のお年寄りや子供連れで須坂行きの車内はかなり賑わっていた。

河東線と呼ばれていた長野電鉄須坂~屋代間は名前の通り千曲川の東岸に沿って走っていて、河東線とはなるほど。この日、西の車窓に北信濃の山並みと北アルプスの白銀を望むことができた。信濃川田、大室、金井山と歩いてみたが、千曲川の土手に最も接近する大室~金井山あたりも人家が多く山並みを入れて電車を撮るのは困難であった。
信州の小京都松代と素晴らしい景色の中を走っている屋代線、まもなく過去形になってしまう。


金井山-大室間で線路は千曲川の土手に接近する.画像クリックで拡大
千曲川の向こうに北信濃の山並みと北アルプス(左奥)を望み、←松代寄りに川中島古戦場がある.


小さな大室駅を俯瞰する.  大室-信濃川田   2012.3.21


冬枯れ景色を行く.金井山-大室間で線路は左手千曲川の土手に接近する.


松代城址から見た信州の小京都にふさわしい松代駅の佇まい.

木造建屋と線路配置が魅力的な松代駅

しなの鉄道 屋代駅で木造跨線橋を渡ると屋代線の電車が待っている.

2012年3月20日火曜日

銚子電鉄 夏の日2

1963年夏の銚子電鉄、小さな駅は静まり返っていたが外川方面へ向かう電車は満員の乗客で賑わっていた。この頃はどこの地方私鉄でもマイカー時代到来前の賑わいがあった。


この日は日曜日、行楽客で満員の外川行.  笠上黒生 1963.6.30 
 
次の外川行き電車も超満員、灯台や海辺へ遊びに行く人達なのでしょう. 笠上黒生



土手の下の駅には多くの乗客が. 本銚子駅


静まりかえった海鹿島駅

 
君ヶ浜駅

 
仲ノ町駅
 
昼下がりの仲ノ町車庫

2012年3月19日月曜日

銚子電鉄 夏の日1

昨年紹介しました1963年夏の銚子電鉄をさらに続けてみます。

海辺の小私鉄 銚子電鉄のイメージはやはり夏の風景が印象深い。
夏のある日、照りつける太陽と潮風を浴びながら海辺の風景の中を往復する電車を必死に追いまわした。沿線にあった水産加工場の臭いの洗礼が忘れられない。

 
外川駅に2軸客車を牽いた木造電車が到着すると、客車が切り離されて電車は機回り線へ.
夏の陽差しがサンサンと照りつける.  外川駅  1963.6.30 


駅長さんのシャツが眩しい、夏の「とがわ」駅    画像クリックで拡大

 
駅の名所案内にある海水浴場へ行くのも、まだマイカーではなく電車の時代であった.

 
客車を牽いたデハ201の台車が興味深い
 
京成電鉄で使われた雨宮製H2型板枠台車と思われる.


次の列車はデハ301の混合列車で、客貨車を付け替えると銚子へ引き返して行く.


2012年3月16日金曜日

銚子電鉄 海辺の終着駅

1963(昭38)年6月に訪問した銚子電鉄、あれから16年経った1979年のある日の夕方 終点の外川駅に立寄ったことがあった。元鶴見臨港デハ301や小さな2軸客車が健在で、傾いた陽を浴びた外川駅にはいかにも地方私鉄らしい風情が残っていた。駅舎は昔のままで、外川駅の文字がかすれていた壁面に真新しい看板が掛けられていた。
1960年代のヨレヨレの風景も70年代に入ると鉄道や街は急速に奇麗になって行ったのだろう。
更にそれから33年経った現在、外川駅にあの時の風情は残っているのだろうか。

外川駅  1979年4月
素晴らしい駅にツートンカラーの電車がよく似合う

 
 



遠い昔の風景 夏の日の外川駅.   1963.6.31 

遠い昔の風景  木造ポール電車デハ201. 凄い電車が走っていた.