案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年2月28日火曜日

奥山線 オリンパスペンで撮った軽便風景4

気賀口に戻ってバスに乗り奥山廃線跡を車窓に見て向かったところは引佐町だったようだ。
気賀の奥にしては開けた町の中にあった旅館に1泊し、翌日もまた金指から「朝の軽便」を狙った。
爽やかな朝の陽を浴び、電車スタイル踏襲のキハ1802が客車1両を牽いてラッシュ時に活躍していた。

撮影: 1964.3.24


国鉄二俣線のC58と軽便が並んだ金指駅
キハ1802が朝の金指駅を出発し、三方原台地へ向かう.
祝田駅の朝
都田口駅の朝.坂を登り切った都田口で客車を1両増結した通勤通学列車.
客車2両を牽くと三方原台地の坂を登れなかったのでしょう

キハ1802の車内は浜松へ向かう客で満員. 画像クリックで拡大
廃線間近い軽便も朝は賑わっていた.


2012年2月25日土曜日

奥山線 オリンパスペンで撮った軽便風景2

この時の奥山線の旅は、曳馬野からの非電化区間を一気に気賀口まで来てしまった。その日の宿を気賀口の駅長さんに手配してもらうためであった。値引き交渉の末やっと奥地にある宿が決まると奥山線の名所「谷駅の勾配」へと向かった。

終点気賀口はこの先に延びていた気賀口~奥山間が1年前に廃止となり、気賀口の駅にも廃線ムードが漂っていた。この年の秋に全廃したので消滅半年前の光景となる。うららかな春の陽気の下 駅の向こうの小さな山を背景にした気賀口の光景が忘れられない。

撮影: 1964.3.23~24
気賀口の行止まりにはワ1301が留置され、その先に廃線跡が残る.


車止めの先を右にカーブする気賀口~奥山間の廃線跡
気賀口~奥山間の廃線直前が「気賀口から奥山へ向かう」にあります。

静まりかえった気賀口駅の風景
気持ちよい春の陽気と軽便風景
「きがぐち」が表示された木造駅舎

2012年2月24日金曜日

奥山線 オリンパスペンで撮った軽便風景1

オリンパスペンで撮ったハーフサイズシリーズ、栃尾線に続き今回は奥山線の軽便風景です。
遠州鉄道奥山線については何回かアップして来ましたが、ハーフサイズには意外なものが
写っている楽しみがあります。
撮影: 1964.3.23~24

元城駅長さんのはからいで車庫から出して戴いた車両達. 元城車庫

小さな車体から目いっぱいに延びたパンタが軽便らしい.


小さな客車の小さなアーチバー台車に揺られて気賀口へ向かう.  上池川


曳馬野の駅前風景


煙の向こうに電車が到着し、気賀口行きの気動車が出発の準備に.曳馬野駅

大きなヘッドライトとラジエターが目立つ給水中の気動車キハ1803.

電車の乗客が気動車に乗り込むと、気賀口行きは発車する. 
これから曳馬野~気賀口間の非電化区間を走る

2012年2月23日木曜日

奥山線 鉄道仲間のこと

先日アップした越後の栃尾線はまるで冬のような寒さであったが、夜行列車で向かった翌日の遠州は打って変わって春のような陽気であった。
この時の遠州鉄道奥山線の撮影メンバーは、栃尾線の3人に浜松で更に2人が合流し珍しく5人が揃った奥山線であった。浜松から参加した諸河氏は当時まだ高校生で我々4人は大学生鉄仲間であった。
RMライブラリーNo.10「追憶の奥山線」ネコ・パブリッシング発行に各人の奥山線が載せてあります。

先日2月20日には諸河プロの「昭和の地方私鉄 カメラハイク」がイカロス出版から発行され、
当時高校生だった諸河氏と我々大学生鉄仲間の地方私鉄めぐりのことが一言書かれていました。


まず撮る事はなかった珍しい記念写真
左から諸河氏 和田氏 故飯島氏 風間(私) 撮影:田辺氏 1964.3.24 
撮影旅行は大抵2~4人であり、珍しく5人が揃った奥山線曳馬野のひととき.

 暖かな陽差しを浴びた奥山線 軽便風景 1964年3月 元城


2012年2月21日火曜日

筑豊電鉄 直通運転

西鉄北九州線は総延長44Km、当時の主力車種だけでも600形50両、1000形連接車64編成と巨大な路面電車路線であり撮影対象ではなかったが、筑豊電鉄から戸畑行き直通に乗って巨大路線の一端を垣間見た。
筑豊電鉄の基点となる黒崎駅前. 左側が国鉄黒崎駅  1967.2.27  画像クリックで拡大
筑豊電鉄は直通運転で北九州線を先へ進む.

黒崎駅前にやってきた直通筑豊中間行.


中央町の交叉点を行く砂津行き.枝光線が左へ別れる.
銀行や信用金庫がやたらと目に着く一帯
 
枝光線を行く「3両連接車」の看板を下げた3車体連接車1055.まだ3連接の本数が少なかった頃.


66形100形200形500形と古い電車が盛んに走っていた時代.  幸町?


若戸大橋に沿って走ると終点戸畑に到着する.


戸畑大橋が海に向ってカーブする処の下で軌道が終わっていた.
対岸には筑豊本線の若松駅がある.

2012年2月19日日曜日

鞍馬線 岩倉から見る比叡山

京福鞍馬線 岩倉盆地」でコメント戴いたkawkさんの情報から
デオ300の写真を探してみるともう一枚ありました。
ちょうど背景に比叡山が写っていたのでアップしてみます。
kawkさんのコメントに因れば岩倉駅付近から見る比叡山の姿が一番美しいとのこと。
たまたま岩倉駅で降りたのが幸運でした。


比叡山をバックに岩倉盆地を行くデオ300.  1969.1.2 画像クリックで拡大
この日デオ200は盛んに走っていたが、デオ300(2両在籍)は滅多に来なかった。



岩倉盆地を行くこちらはデオ200


2012年2月17日金曜日

筑豊電鉄 閉山後の筑豊を走る

筑豊電鉄は1976年に初めて西鉄から連接車を譲り受けたというから、この頃はまだ自社の車両は保有してなく、西鉄北九州線からの乗り入車や借入車でまかなっていたらしい。

筑豊電鉄は西鉄北九州線から貞元で分岐し筑豊電鉄の専用軌道に入る。
西鉄北九州線の車両は、路面電車としては高速仕様ぎみであり、郊外を飛ばす筑豊電鉄にとってはピッタリの電車。市内を走るのとは違い筑豊電鉄の区間ではかなり高速で頻繁にやって来た。

都市間輸送の西鉄北九州線が全面廃止されたのに対し、ベットタウンと都市を結ぶインターアーバン路線 筑豊電鉄は今も元気に走り続けている。


西鉄北九州線の黒崎車庫前 1967.2.27 


西鉄北九州線を走る筑豊直方行. 左に鹿児島本線と北九州工業地帯が


 貞元(今の熊西) ここで筑豊電鉄が分かれ筑豊直方へ向かう.


貞元の分岐点. 左が西鉄北九州線の折尾行.右が筑豊電鉄の軌道. 画面クリックで拡大


筑豊電鉄の専用軌道を走る上り電車.戸畑行乗入れが多かった.


沿線のベットタウンへの変貌は、まだまだこれからなのだろう. 貞元-萩原


郊外の人口が増えたせいか日中の乗客も多い. 萩原 1967.2.27

北九州が製鉄業を中心とした重化学工業が成長するにつれて沿線のベッドタウン化が進み、
筑豊電鉄の利用客の増加は1970年代にピークを迎える。


参考: 週間朝日百科 歴史でめぐる鉄道全路線 公営・私鉄No.23より

2012年2月16日木曜日

筑豊電鉄

戦後生まれの筑豊電気鉄道、昭和31年に貞元~筑豊中間が開業しその後筑豊直方まで延長された。
西鉄北九州線との相互乗入れで、筑豊電鉄(専用軌道)は西鉄の路面軌道へ直通運転していた。

黒崎市街を走る筑豊直方行. 黒崎車庫前 1967.2.27 画像クリックで拡大
北九州工業地帯の活況で、筑豊電鉄沿線郊外のベットタウン化が進んでいる頃。

2012年2月15日水曜日

栃尾線 気になる客車2題

上見附駅の構内で目に止まった気になる2両の客車。ユーモラスなカマボコ屋根の客車と、古い都電を改造した客車。これらは昭和48年の栃尾線近代化(総括制御編成化)の数年前まで活躍した。

撮影: 全て1964.3.22
カマボコ屋根のホハ20.上見附  画像クリックで拡大
駅の脇には日通の建物から排出される煙、その先に朽ち果てそうな建物が並ぶ1960年代の風景が.

そんな風景を背に停車していた簡素な作りのカマボコ客車。昭25年自社工場で新作されたホハ20で、もう1両の同形ホハ21は何と電車に化けている.模型でも簡単に作れそうなカタチに思わず車体各部の寸法を測ってしまった。

↓が元カマボコ客車ホハ21を改造して出来た電車で、元の面影は全くない.
細面で中々スマートなモハ211(元カマボコ). 悠久山
写真を付け合わせてみるとこの編成はモハ211+ホハ11+ホハ20で、
なんと味わい深い編成だろうか.


元都電のホハ11.上見附
こちらは昭3年汽車会社製の元都電杉並線の電車を客車化したもので、妻面の窓が低いのが元路面電車らしい.アーチバー台車に交換など改装してすっかり軽便客車になりきっている。


発車待ちの元都電ホハ11の車内には子供が一人.
車内は木作りで両開き式の客室ドア、紐のような吊皮、網棚やシート等 都電の名残りかも知れない.
客車内は寒いせいか乗客の多くは前の電車に乗り込んでいた(下の写真)

手をつないだモハ211(元カマボコ)とホハ11(元都電).



2012年2月13日月曜日

栃尾線 加津保駅

前々回にアップしました加津保駅は隣の椿沢駅だったようです。
申し訳ありません訂正させていただき、椿沢の一つ手前の加津保駅をアップします。


加津保駅  1964.3.22   画像クリックで拡大

駅の西側にはどこまでも続く田圃が、東側には越後の低い山並みが続く.
荒涼とした雰囲気の中にある駅であったが駅員が配置されていた.

加津保駅の側線に留置されていたアメリカンスタイルの客車3両.
前年6月に小坂鉄道から6両を譲り受け入線した.


加津保駅の向こうに連なる越後の山並み.


加津保を発車すると列車は右へカーブし上見附へ向かう.