案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年8月3日金曜日

高麗川駅の煙

現在の高麗川駅.昔 蒸機が煙を上げ休んでいたのはこの一角でしょう. 2012.07.31
枻出版発行「ニツポンの蒸気機関車9600」の中で西村光氏の「川越線郷愁」に当時の高麗川駅のことが判り易く解説されていたので引用させて頂きました。

1960年代後半、八高線の高麗川~拝島間で16往復、高麗川~寄居間で9往復、川越線の大宮~高麗川間で6往復の貨物と1往復の客車列車が設定されていた。高麗川駅では大宮機関区の9600、八王子機関区のD51、高崎第一機関区のC58及びD51のいずれかの蒸気機関車が常時煙を上げていた。

高麗川駅の一角.   1967.02.03
右手四角い詰所の今昔を見較べてみると、今もこの形の儘で残っている.

ターンテーブル、給水、ピット等があった一角で休む96とD51.  1966.08.05  クリック拡大

次の作業へ準備中の96.  1966.08.05

高めのデフを装着したカタチよい96

高麗川の一角で蒸機を支える人達.     1966.08.05
この一角にあったピットと給水塔、その先に詰所が. 1966.08.05
八高線のC58.   1967.02.03

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