案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年8月12日日曜日

山陽電気軌道 東駅車庫の2軸車

山陽電軌では朝夕のラッシュ時に下関~東駅間で2軸車が活躍していたのが魅力であった。
当時 2軸車は12両在籍し、朝の街中で見掛けた2軸車はラッシュ時間帯が終わると次々に東駅車庫に戻って来た。そんな東駅車庫の2軸車を追ってみました。

朝の街中で活躍する101、116.   下関駅前  1967.2.27

ムードある東駅(旧称東下関)の風景.この先に2軸車が集結していた. 1967.2.27 クリック拡大

東駅(旧称東下関)の先に車庫が見える.駅には朝の市街から戻ってきた2軸車116が.

東駅車庫とバス基地の間を幡生線の線路が延びる.

2軸車は合計12両が在籍していた。
101系列101~105、107~108の7両、
109系列109、112  114~116の5両 

102や112等 朝の勤めを終えた2軸車群. 東駅車庫


107

ボギー車204と2軸車104

2軸車114はこの後休車となった.

木造ホギー車532の廃車体.元三重交通神都線

0 件のコメント: