案内文章

高度成長期に突入した1960年代は、地方私鉄の廃線が次々と続いた10年間であった
「終焉の地方私鉄」を全国に追い求め、
空腹と闘った旅で撮り溜めたネガ。
そんなネガを掘り起し、地方私鉄の1960年代
回想してみました。

2012年8月29日水曜日

真夏の片上鉄道1

昭和37年夏の旅は別府鉄道を訪問後、姫路に出て山陽本線に乗り和気へ向かった。
片上鉄道がある山陽本線和気駅は真夏の午後の強烈な日差しと暑さであった。
この時代 コンビニも自動販売機もなく、水筒の用意もなしで水分補給に気を使った覚えはない。
たいていは駅で水道水を飲み、和気駅前食堂で食べた15円の「氷いちご」は滅多にない贅沢であった。

鉱山がある棚原からやって来た列車は山陽本線をオーバクロスし緩やかにカーブして和気に到着する.
まだトラック輸送時代になる前で鉱山の貨物量はけっこうあったようだ.C11-102 1962.07.28

1枚目の写真はC11牽引の貨物だが、C13が牽く貨物もやって来て
和気駅構内では片上名物C13が忙しく入替作業に励んでいた.

興味深い片上のC13をじっくりと眺め感動したものだった.

棚原から片上へ運ぶ鉱山貨物

山陽本線に乗り換える乗客で賑わう和気の片上鉄道ホーム.片上行キハ3001

ワフ15
次にやって来たのはC12が牽く混合列車で
C12+トム1500型(社型)数量+ワフ15+ホハフ2002の編成で和気駅を発車した.
混合列車の最後尾に繋がれたオープンデッキ付ボギー客車ホハフ2002に乗って片上へ向かう.
デッキには「デッキは危険ですから客室へおはいりください」の注意書が.

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